目次

■NEWS
■婦人会からのお知らせ 〜カラーセミナーを開催しました〜
■日本人学校からのお知らせ 〜中学部、職業体験学習レポート■特集:「若鶴魂よ、永遠に」
■日本人会だより 〜地域版〜
■チンタオ友の輪
■同好会Q&A 〜ヨット同好会〜
■県人会だより 〜東北弁を愛する会〜
■青島・老房子と日本人 〜青島神社〜
■助けて長さん!「パソコン講座」
■会長はシェフ
■だーぐぅ爺のひとりごと
■浮山情的書評 〜実録アヘン戦争〜
■チンタオ情報あれこれ
■チンタオ写真館
■連載エッセー 〜Long Walk〜
■イベントカレンダー

 

 

 

 

 

NEWS

 

速報! 大谷名誉会長、外務大臣表彰受賞

 青島日本人会・大谷吉治名誉会長が外務大臣表彰を受賞することが決まりました。外務大臣表彰とは、日本に住む外国人、或いは外国に住む日本人あるいは外国人が日本と当該国の両国の友好関係に大きく貢献した際に贈られるもので、大谷名誉会長は、長年にわたりここ山東省、青島において日本と中国の友好関係の促進、総領事館開館以前の邦人保護、日本人学校の設立、ジェトロ事務所の誘致、領事館の開設に大きな功績を残したとして、この度の授賞が決定。7月13日、外務省から正式に発表がありました。総領事館によれば、授賞式は、日本から表彰状等が到着次第、青島で行われるとのこと。詳細は次号のゲッチンにてお伝えします。

 

 

 

 

薩摩焼の大家 沈寿官(ちん・じゅかん)氏

特別講演のお知らせ〜

  来る7月18日、青島日本人会主催による、陶芸家・沈寿官氏の講演会が行われます。沈寿官氏は、江戸時代より続く薩摩焼・沈寿官窯の15代当主。司馬遼太郎の「故郷忘じがたき候」に描かれる主人公14代の長男で、先祖は秀吉の朝鮮出兵により日本に連れてこられ、鹿児島の島津家の庇護のもと、代々窯元として薩摩焼を世界的な陶器に高め、世界各地の展覧会にて活躍されています。講演会では、伝統と文化についてお話される予定です。講演会後に懇親会も予定しています。【日時】7月18日(日)18:00〜19:30【場所】シャングリラホテル1階(懇親会も同場所)【会費・申込締切】200元(講演会は無料)・7月12日迄【沈寿官氏プロフィール】十五代・沈壽官氏は1983年早稲田大学を卒業、88年イタリア国立美術陶芸学校を修了。90年、大韓民国京畿道・金一萬土器工場(現五父子雍器)にてキムチ雍製作修業。99年、三笠宮寛仁親王妃信子様、2004年平成天皇実姉池田厚子様、同年12月、大韓民国大統領爐武鉉閣下ご夫妻の御来窯の名誉に浴した。
 http//www.chin-jukan.co.jp/introduction.html

      

 

 

 

日本人@青島 かなりイイ話!

落とした30万元、持ち主に還る〜

 先月9日、青島市内の新聞を大きく飾ったのが、「30万元返却される!!」という記事。即墨市に住む靴製造業者の官夫妻が荷積みをしていた市内のアパート敷地内で30万元をうっかり落としてしまった。それを拾ったのは、青島在住の小林晃さん(セコム)。途方にくれていた夫妻のもとに、翌日お金は無事届けられた。この信じられない朗報に「本当に感激です。良き隣人に感謝しています。」とコメント。各新聞でも「何て良心のある拾い主。今を生きる“雷蜂”(注)だ。」と賞賛、各ブログでも「日本人は何て誠実なんだ」と多くのコメントが投稿された。(注)雷蜂は1950〜60年代に実在した稀代の正直者。自らも貧しいながらも私財を投げ打って困っている人々を助けたり、お金を拾えば正直に届けたり、世のため、人のためにつくした。中国では先生や親が子供たちに「学習雷蜂!(雷蜂を見習いなさい。)」と教育している。

 

 

 

在青島日本国総領事館より

 〜個人観光査証取扱開始のお知らせ〜

2010年7月1日から在青島日本国総領事館において中国国民訪日観光(個人観光)査証の取扱を開始します。申請は団体観光査証と同様に当館指定の旅行会社を通じて受け付けることになります。なお、詳細は当館の下記ホームページをご参照ください。
http://www.qingdao.cn.emb-japan.go.jp/

 

 

 

婦人会からのお知らせ 

〜「カラーセミナー」を開催しました〜

 6月21日、漳州路にあるイタリアン「Clover pizzeria Ristorante」にて、婦人会定例会&カラーセミナーを、無事に開催することができました。 参加人数は、カラー講座32名、定例会参加は、34名とお子様4名。当日は天気にも恵まれ、黄島からも2名の方が参加してくださいました。
今回は初の試みとして、上海からカラーアナリストの高田裕子先生をお招きし、「第一印象が人に与える影響」「個人別パーソナルカラー」など、内容も盛りだくさんで、高田先生のユーモアを交えた軽快なトークが、終始会場を沸かせていました。定例会では、安心食材で、自家製にこだわるスペシャルランチが用意され、子供たちにはデザートのプレゼントがありました。会員同士の情報交換の場としても和やかな雰囲気で、終盤には高田先生からもスペシャルプレゼントとして、一人ひとりのカラー診断が行われ、会員の方々にも大変楽しんでいただけました。次回の定例会は10月の予定。婦人会入会をご希望の方は、日本人会までお知らせください。

   

 

 

 

 

ちんたお文庫休館日のお知らせ

 7月22日〜8月21日まで、夏休みのために長期休館します。休館前の7月1日〜7月17日の間は貸出し増冊期間として、1人8冊まで借りることができます。皆様、どうぞご留意の上、ご利用ください。また、ちんたお文庫の最新情報、開館状況につきましては、日本人会ホームページにてご確認下さい。

↑topに戻る

 


 

 

 

 

日本人学校からのお知らせ  

〜中学部 職業体験学習レポート〜

 6月24日、青島市内15ヶ所の事業所にて青島日本人学校・中学部生徒22名による職場体験学習が行われました。月刊青島では今回、中学部3年生の生徒4名にスポットをあてて取材、職場体験を終えた感想を生徒・事業所両方に聞きました。彼らが体験を行ったのは日本食レストラン「花園」、イタリアンレストラン「CLOVER」、衣料品店「ユニクロ」の4ヶ所。レストランでは開店準備、お客様の接客やお料理出し、片付け掃除を、衣料品店では倉庫整理、防犯タグの扱い方、ディスプレイ変更などを学びました。

 日本料理店・花園で体験! 

〜生徒感想・Aさん(花園)〜 
【職業体験を通じて一番楽しかったことは?】  
 緊張しながらも接客の仕方を練習して、実際にお客様が来たときにスムーズに接客ができたこと。練習した甲斐があったと思います。

【一番辛かったことは?】  
緊張しているため、何でも頭で考えこみ、それを行動に移すことができなかったこと。

【働くってどういうことだと思いますか?】   
 ほとんどは生活していくための「お金」を得る手段ですが「きつい」ばかりではなく、自分なりに楽しめる作業だと思います

〜事業所感想〜
【職業体験を終えた後のご感想をお聞かせください。】  
 何よりもお二人の仕事に対する積極性と意欲的な姿勢が見ていてとても気持ちのよいものでした。そしてお客様に対してだけでなく、我々に対してもきちんとしたご挨拶や的確な敬語を使えていたことをうれしく思いました。お二人は中国で生活していながらも日本人として最も大切な、それでいて中国の方に伝えるのは最も難しい礼儀をすでに持ち合わせていて同じ日本人として誇りを感じました。

【職業体験をした生徒達にメッセージをお願いします。】   
 将来どのような仕事に就いたとしても職業体験の一日のような意欲的で一生懸命な姿勢を忘れないで過ごしていただきたいと思います。実際に体験してみると、自分で想像していたよりもこんなにも難しかったのか・・・と感じたり、うまくいかなくて悔しい思いをすることもあると思いますが・・。確かに仕事は生活のための手段ではありますが、きついと思えばなんでもきつい。逆に楽しもうと思えばなんでも楽しめる。つまりは自分の心次第だと思います。どうせ仕事をするなら 楽しんだほうがいい。初めての接客体験中は一生懸命すぎて笑顔を忘れてしまっていましたが、本当にお客様に対する思いやりがあれば、本当に仕事を楽しめればそこに自然と心からの笑顔が加わり、さらに素晴らしい接客ができると思います。仕事は生活のための手段でありながら自分の人生をより楽しむことができる手段でもあると考えればこんなに楽しいことってないんですよ。

 

 

             

 イタリアンレストラン・CLOVERで体験!

〜生徒感想・Bくん(CLOVER)〜 
これまでの職業体験を通じて一番楽しかったことは?】  
 お客様に僕が一生懸命にしたサービスを喜んでもらえた時

【一番辛かったことは?】  
 接客ですので当たり前ですが、長時間ずっと立ちっぱなしだったことです。

【3回の職場体験であなたが得たものは何ですか?】  
 この3回の職場体験で、僕はたくさんのことを学び、得たものは数えきれません。何よりも接客することの心構えや何事にも一生懸命に取り組むことの大切さを各事業所の皆様や実際に働くことで学びました。

 

〜生徒感想・Cくん(CLOVER)〜
【今回働いた事業所を希望した理由は?】  
 元々ピザやパスタが好きで同じ飲食店でもイタリアンレストランが面白そうだと思ったからです。

【これまでの職業体験を通じて一番楽しかったことは?】  
 まず一番に両親や先生以外の方々から貴重な、とても面白いお話が聞けたことです。次に職場の方の技術を間近に見られたことです。昨年度体験したカメラの使い方も、ピザの作り方も僕にはとても新鮮でした。

【働くってどういうことだと思いますか?】  
 「生きる」ってことだと思います。僕にとって「働く」ことは、一つの目標であって、目標があるから人生を「生きる」ことができると思います。

 

〜事業所感想〜
【職業体験を終えた後のご感想をお聞かせください。】  
 イメージよりもかなりしっかりしていたため、中国のスタッフ達よりもスムーズに仕事に入ってもらう事ができホッとしました。日本の感覚を持った中学生の方が中国で生まれ育った大学生よりもはるかにしっかりしており、仕事に対する考え方や取り組む姿勢などは日本人の将来性を感じました。

【職業体験をした生徒達にメッセージをお願いします。】  
 日本でしか生活をしていない同世代の子たちよりも2人のように海外で生活している子の方がより多くの経験をしているように思います。そして将来の仕事の選択肢も遥かに大きく広がっていると思います。才能のきっかけは興味から始まると昔本で読んだ事があります。どうしてもお金を見がちな世の中ですが、自分がどれだけ興味を抱けるかが将来性を切り開く可能性のように感じています。2人の可能性を陰ながら期待しています。職業体験御苦労様でした。

 

 

 衣料品店・ユニクロで体験! 

〜生徒感想・Dくん(ユニクロ)〜
【今回働いた事業所を希望した理由は?】  
 これまでにホテルとスーパーで体験してきたので、これまで体験したことのない業種をやってみようと思ったからです。

【これまでの職業体験を通じて一番楽しかったことは?   
 自分の好きな服に変えることのできた、今回の職場で行ったディスプレイ(マネキン)の変更です。

【働くってどういうことだと思いますか?】  
 働くというのは、楽ではなく、苦労の方が多いと思いますが、相手に喜んでもらえると苦労さえ吹き飛んでしまうような魅力のあるものだと思います。

 

〜事業所感想〜
【職業体験を終えた後のご感想をお聞かせください。】  
 実地研修のあとの質問が鋭く、しかも多く、汗をかきました。

【職業体験をした生徒達にメッセージをお願いします。】  
 よくがんばってくれました。青島という恵まれた環境でたくさんの経験を積んで、日本人という枠にとらわれず、国際人として将来大活躍されることを心より願っております。

 

 

 

        

   

 ↑topに戻る

 


 

 

月刊青島7月号 特集

「若鶴魂よ、永遠に!」

〜青島日本高等女学校 関東若鶴会最後の同窓会〜

 終戦前、4万人以上の日本人が住んでいたチンタオ。当時、小学校や中学校などチンタオで教育を受け、日本人子女が多く存在しました。その同級生たちは戦後、日本に引き揚げてからも「ふるさとはチンタオ」を合言葉に、70年近く経った今でも日本各地で多くの同窓会が開かれています。今回の特集では、今年5月、最大規模の同窓会の一つである青島日本高等女学校同窓会「若鶴会」に同席取材した様子をお伝えします。

<関東若鶴会最後の同窓会の報せを受けて>

 去る5月24日、東京・品川プリンスホテルにて青島日本高等女学校(以下、青島高女)卒業生の会「若鶴会」関東地区の最後の同窓会が開催されました。大正3年(1915年)に開校し、昭和20年(1945年)に閉校した青島高女。二つの大戦の狭間で30年の歴史を刻んだこの学校では、28回の卒業式と30回の入学式が行われました。その卒業生たちの会は、母校のあった場所・若鶴山(現在の貯水山)の地名にちなんで「若鶴会」と呼ばれ、関東、関西、九州に支部を持ちました。昭和24年、戦後初めての若鶴会同窓会が行われた関東若鶴会では以来53回の同窓会が開催されましたが、卒業生の高齢化を理由に、開校95周年記念を迎える今年に幕を閉じることとなりました。その報せを知った青島日本人会では、是非とも青島高女最後の同窓会に出席したいと希望したところ、大谷吉治名誉会長と記者の同席をご快諾いただき、今回の取材が実現しました。

<青島高女の歴史>

 青島高女の歴史について簡単にご紹介しましょう。青島高女は、大正3年創立、山東鉄道管理部構内にて仮校舎が開校されました。この女学校の創立は翌年創立された男子校である青島日本中学校や後の青島学院よりも早い開校でした。なぜ、女学校の開校がどの学校よりも早い開校だったのか、当時の女子への教育事情を鑑みると誠に興味深いといえましょう。大正7年に現在も跡の残る黄台路に新校舎完成、移転。昭和20年、終戦を迎えた同年10月、原因不明の出火により校舎本館、体育館が炎上。本校舎の無いまま、同月末に最後の卒業式と修了式が執り行われ、閉校となりました。
青島高女を含めた在外邦人学校での当時の教育の水準は相当高く、教師は日本で高等師範学校(現在の教育大学)を卒業した優秀な人材が選出され、チンタオに赴任しました。尚、先生の赴任ルートは、潜水艦出没の理由により、関釜連絡船でまず釜山に到着してから朝鮮半島を縦断し、大連、さらに上海航路で青島に到着したそうです戦時中の日本では考えられないパリっと糊のきいたセーラー服を着て、ピカピカの革靴を履き、胸に桜の校章をつけた青島高女の生徒たち。終戦前に日本に引き揚げた生徒は、当時の内地(日本本土)の女学校生徒と自分との服装の違いに目を見張ったそうです。
 

 

戦後の若鶴会立ち上げ>

 青島高女の同窓会として「若鶴会」は終戦前から存在しましたが、終戦で母校を失い、卒業生たちは日本各地にちりぢりとなりました。戦後、日本での若鶴会再開のきっかけとなったのは、青島高女4回生であった黒川南海子さん泰子さんと二人で外務省・終戦連絡事務局に保管されていた、学校名簿の生徒本籍地を3日間かけて手書きで書き写したことに始まります。電話もファックスも無い中、ハガキで手紙を出し続け、昭和24年、消息のわかった人たちによる戦後初めての同窓会が東京で開かれました。その時の様子が書かれた資料では、“誰しもおそるおそる会場に入って来られ、やがてそれぞれ此処に再会できたことを幸せに思い、狭い会場の中で抱き合って喜ぶ姿が印象的でした”と書かれています以来、60年余り続くこととなった同窓会の初めの一歩でした。

 

関東若鶴会、最後の集まり 

5月24日、最後の関東若鶴会の当日。同窓会は11時スタートの予定でしたが、記者が到着した10時にはすでに大勢の方が受付を済ませ、会場のあちこちで互いの再会を喜び合う姿が見られました。会場でまず驚いたことは、卒業生の皆さんのお若くてお元気な姿です。参加者の最少年齢は傘寿を迎える78歳から最高年齢は白寿を迎える99歳。どの方もシャンとしていて綺麗。実年齢よりずっと若く見えました。そして、かつての大和撫子教育を受けた皆さんの仕草や日本語の話し方はとても優美で印象的でした。

 同窓会のオープンニングとして全員で校歌斉唱、初めて聴くかつての在青学校の歌詞に不思議な感覚を覚えました。「皆さん、もう乙女と呼べる歳から随分と経っておりますが、今日一日だけは身も心も乙女に戻って語り、楽しみましょう〜!」と、坂田たか子関東若鶴会会長が開会宣言、最後の同窓会が始まりました。大谷名誉会長の他に青島中学校同窓会「鳳雛会」や青島学院同窓会「桜稲会」の代表、関西若鶴会・九州若鶴会の会長と多くの来賓も駆けつけました。来賓の挨拶では、大谷名誉会長が斉藤法雄総領事の挨拶を代読し、現在のチンタオについてお話されると、会場の皆さんは興味深そうに聞き入っていました。また、記者が撮影のためにテーブルを回ると、「ねえねえ。今のチンタオはどんな街なの?」「青島高女の現在の様子は?」「○○路に住んでいたのだけど、どうなっているかご存知?」「今の日本人学校はどこにあるの?」とたくさんの質問を受け、母として妻として、ご家族や諸事情により、戦後青島に行ってみたくても行けなかった方が大勢いらっしゃることを知りました。持参した地図を見ながら「随分、東の方まで発展したのね!」とお話され、青島高女やチンタオの思い出は素晴らしかった、と口を揃えていました。

  海外という土地柄のせいか、青島高女には優秀な女性人材が多く輩出されたそうです。その証として、卒業生の大学進学率はかなり高く、大学も日本女子大、津田塾大等の名門女子大に進学する生徒が多くいました。今回の同窓会でもピアノ演奏、シャンソン歌唱、日舞公演と多彩な才能が披露され、会に華を添えていました。また、今回の関東若鶴会最後の同窓会開催については前日の朝日新聞でも大きく取り上げられ、話題となりました。

  

  

  

 

 

<若鶴会95周年記念誌より>

 今回の開会に合わせて、若鶴会では卒業生たちによる母校創立95周年記念誌が作られました。その中では「若鶴会のこの明るさ、心強さは、心の故郷青島が与えてくれた恵み」「東洋のナポリ、赤い屋根、アカシアの並木路」「青島高女のグランド、体育場、美しい家並み、青々とした海、カトリック教会の屋根、青島神社の桜」「あの学校を卒業できたことを誇りに思うと共に感謝の念でいっぱい」と当時の学校生活やチンタオへの想いがたくさん綴られています。美しいメロディーでダンスをした体育、リレーやマスゲームを行った秋の体育会、冬の校庭のスケート練習ショパンやモーツアルト、シューマンなど有名な作曲家の名曲が演奏された音楽会など、当時の教育の豊かさを垣間見ることができる一方で、終戦直前は勉学よりも軍服の穴かがりやボタンつけ、青島病院(現・青島大学附属医院)や陸軍病院(現・401海軍病院)で看護師として実施教育したことが書かれ、外国にいながらもその影響があったことを窺い知ることができます。文集の最後に書かれた「若鶴魂 永遠に 良き人生を」の文字。「若鶴魂」とは明るく社交的でしかも思いやり深く、事あれば何が何でもやり抜く青島高女魂のこと。まさに終戦、廃校、引き揚げ、戦後の数々の混乱と苦難を乗り越えた女性たちの心を支えた言葉なのでしょう。

 

 

<坂田会長にインタビュー>

 11時から3時間近く続いた最後の同窓会。閉会直後、大谷名誉会長が坂田たか子会長にお話を聞きました。

大谷会長:
 いやあ、今日は最初から最後まで感動の連続でした。

坂田会長:
 
ありがとうございます。皆さんこそチンタオからよくお越しくださいました。

大谷会長:
 いや、実は私チンタオでは割と長老扱いされているのですが、今日は皆さんから「あら、まだ72歳?若いのね。」と言われてしまいました。それにしても、今日の参加者215名ですか、これだけの方が参加する会合はなかなかありません。故郷も母校も失いながらも、チンタオという舞台の中で苦楽を共にしたで、60年、70年経った今もこうして集まるんでしょうね。そういうことがあるんだなあ、ということをしみじみと感動を覚えながら今日は参加させていただきました。

坂田会長:
 そうですね。鳳雛会(青島中学校同窓会)さんも桜稲会(青島学院同窓会)さんも終わりになっていらっしゃるから、うちのこの会もやっぱり年齢的にもう無理だ、と閉めさせていただくことになりました。いつも「もう年だから」が皆の口癖になっていて、今回もしっとりと温かみの残る会になればいいと思っていたんです。ところが、青島日本人会の会長がわざわざ来て下さると聞いて、私たちびっくりしました。だって日本国内じゃないんですから。でも来ていただいてよかったです。こうして出ていただくとすごく違いがあるということがわかりました。

大谷会長:
 いやあ、でも今日の雰囲気からいくと、95周年で閉じるのはもったいないですなぁ。100回は大丈夫じゃないですか。

坂田会長:
 私もね、もったいない!と思いました。きっと来賓の皆さんのご挨拶や励ましの言葉が皆さんを活気づけたんだと思います。だから本当に心から御礼申し上げます。それにチンタオは今こうなっている、これからはこう頑張っていく、というお話は皆興味を持って聞いたと思います。その証拠に女性の会にしては、今日は“静粛”に近い状態でしたよ。

大谷会長:
 この熱気を秋まで持ち続けていただいて、今チンタオで色々計画しているチンタオへの旅行にぜひご参加いただきたいと思います。お待ちしていますよ。

坂田会長:
 私、実は戦後一度もチンタオに行ったことがないんです。働いて、退職後も色んな会が数珠繋ぎにありましたから、時間がとれませんでした。でももう85歳ですから、これからは少しずつ色んなことを整理して行ってみたいですね

大谷会長:
 坂田会長は、校長先生でいらしたから、チンタオではぜひとも日本人学校を見てほしいなあ。ところで、関東若鶴会ですが、その立ち上げにはご苦労されたと聞いています。

坂田会長:
 終戦後、日本に引き揚げた卒業生たちは故郷も母校も失いましたから、誰がどこにいるかもわからない状態となってしまいました。それを黒川さん母娘が生徒の本籍地を調べて連絡して下さいましてね、でも連絡がとれたのは全体の三分の一だけだったそうです。その三分の一の人たちの集まりの輪が「たぶんあの人はあそこにいる!」と徐々に広がったそうです。

大谷会長:
 
いつも200人以上が参加するのですか?

坂田会長:
 今回は全国に声をかけましたから200名を越しました。私が初めて会長をした平成13年の頃は150人くらいでしたでしょうか。後に幹事が輪番制になり、2年前に最後の28回生の担当が終わった時にアンケートを行い、95周年までの開催という結論になりました。関西若鶴会はまだやるって言われていますが、九州若鶴会も今年の10月で終わりです。

大谷会長:
 関西若鶴会は100回まで必ず、って言われていましたね。今は、最後の会を終えられてどんなお気持ちですか。

坂田会長:
 何よりも無事に終わってよかった、安心しました。私たちの年齢だと、怪我をしたり、救急車を呼んだりすることになったらどうしよう、とそっちの方も結構頭の中にありましたから。だからこそそんなこともなく会が盛り上がって、本当によかったです。これからは関東若鶴会は無くなりますが、関西や各回の集まりで、会えることを楽しみにしています。

大谷会長:今日は本当にありがとうございました。  

 ↑topに戻る

 


 


日本人会だより 地域版

7区5市(市南区、市北区、四方区、黄島区、区、城陽区、区、膠州市平度市、南市、莱西市)で成り立っている「青島」。
青島市市内各地の日本人会のご様子をお伝えします。

<黄島区・膠南地区>

 青島日本人会の皆様こんにちは、6月号の黄島日本人会会長折居会長よりバトンを受け 引き続き黄島区/開発区/保税区/胶南地区のご紹介をさせていただきます。

 青島鴨井食品の田渕と申します。黄島で折居会長のもと副会長をやらせていただき早3年となります。今回は弊社が胶南地区に立地しているということもあり胶南地区のの情報をご紹介したいと思います。胶南地区では独自に胶南日本人会として丸魯大食品様中心に近隣日系企業様十数社が集まり、定例としては11回、不定期に飲み屋で情報交換というのが主な活動の極めてアットホームな集まりです。しかしながら、08年には蒸気代の理不尽な大幅な高騰の際には胶南日本人会中心に市政府に嘆願に行き、政府役人に対して各社とも厳しい現状を伝え、それに反応した市長が各企業を訪問するような反応を得られたことも有りました。また、ここ胶南地区は食品企業が多く頻繁に日系食品企業をジョブホッピングする工員の新規面接の際は直接連絡をし以前の職場での態度や評価などを聞いて合否の参考にする事などもあります、生産上では設備の貸し借りや原料の共同購入、生産繁忙期の一部生産委託をお願いするなど、日本ではおよそ考えられない日本人同士の協力体制があります。狭い地域ならではの強いつながりが自慢の会となっています。  

 昨年より黄島地区を中心として有志によりソフトボール同好会を発足しました。 数年前より黄島にある大学で熱心に日本文化を伝えようと野球、ソフトを中国人の学生さんに教えている日本人の先生方がいらっしゃいます、その先生方の一助になればと数人の日本人会メンバーが練習に参加し、またそれが発展し月1回の学生さんとの交流試合に発展しました。現在では男女混合で15名ほどのメンバーが月1回学生さんを相手に2試合行っています。経験者も少なくまた平均年齢もアラフォーで若い学生さんたちには基礎体力では完全に負けています。しかし、緻密なプレーとガッツでなんとか面目は保てている状況です。学生さんとの交流も多く若いエネルギーをもらい日々の仕事にも活力を与えてもらっています。伝統あるゴルフ99会についで黄島で生まれた運動サークルの火を消さないよう活動しています。この場をお借りして恐縮ですが、参加者募集中です!!

<城陽区>

 月刊青島ご購読の皆様、こんにちは!城陽区日系企業協会の会長を拝命しております青島秀愛食品の山口と申します。月刊青島地域便りという事で、城陽区日系企業協会と城陽区について、ご紹介させて頂きます。城陽区日系企業協会は、2002年3月、正式に成立しました。城陽区に所在する企業間の交流と、城陽区政府との交流や区政府に対する陳情などの窓口としての役割を担っています。現在会員企業は60社ほどで、電気機械、繊維縫製、食品医薬など業種は多岐に渡り、生産工場として経営を行っている企業が殆どです。近年、中国の発展に伴い、流通サービスの事務所を城陽区に開設する企業もあります

 城陽区日系企業協会では、ボヤキ会と称する会合を開催しており、会員各位が経営上の問題点や疑問を投げかけ、会員同士で問題解決の事例などを挙げ参考にしてもらうなど、自由な意見交換会を行っております。またJETRO青島事務所様などのご協力を得ながら、弁護士を招き専門的な意見も頂戴し、会員企業が抱える疑問や問題点の解決の一助となり得るような活動を行っております。また、不定期ではありますが、区政府関係者との座談会や説明会を開催し、日系企業の抱える様々な問題を提起し、政府として対策を講じてもらう働き掛けを行っております。所謂、地元密着型の活動を主体としております。 

 次に、青島市城陽区の紹介ですが、以前は山区の管轄で1994年に分割され城陽区に昇格、城陽区は8つの街道、230の社区(村)があり、戸籍人口は約49万人にもなります。城陽区は早くから外資系企業の誘致に力を入れており、国家級重点開発区の青島輸出加工区や省級開発区の環海経済開発区などがあり、空路海路と貿易上の交通の便利さからも日系を含む多くの外資企業が進出しています。

 城陽区と言えば、皆様よくご利用の青島流亭空港がありますが、空港付近一帯が城陽区かと思えば、東は山北部から西は胶州市まで広がり、海平原と自然豊かなところで、農産物や海産物も豊富です。城陽区は桃の産地として古くから有名で、城陽桃は全国でも有名なブランドだそうです。その他、チェリー祭りやアサリ祭りなどの行事も開催され、レジャー観光にも力を入れている様子です。華山グループのゴルフ場もありますし、今年は新しい試みとして、ゴルフなどのリクリエーション的な活動も行い、会員企業がより一層の交流が図れるような活動も行っていく予定です。

 

<膠州> 

 −膠州市内韓国商店街に「韓国風情商業街」の巨大門が出現
膠州市には、地理的に近いこともあり、たくさんの韓国系企業があり、韓国商店街等もあります。 5月の「第2回中国秧歌」を前に膠州市内の蘭州路に在る韓国商店街を挟むように巨大な門が作られました。蘭州東路のこの地区には、華韓大酒店をはじめ多くの韓国系商店が並び看板にも韓国語の表記の目立つ地区です。膠州湾高速の膠州ICを降りて直進(海大道)し10分、中州集団の冷凍コンテナ工場を過ぎた交差点を左折するとまもなく見えてきます。(一部外装工事が続いております。)

  5月21日から「第2回中国秧歌」が3日間開催されました
膠州市は、民族舞踊の伝承も多いところで5月21日から3日間「第2回中国秧歌」が開催されました。5月21日夜には、膠州市の小海新城の秧歌城で開幕式が盛大に行われました。雲南省・遼寧省・河南省・安徽省・北京市他及び山東省内各地化の民族舞踊が披露され、中国でも著名な歌手である宋租英・林依が出演しました。当日は小雨が降るあいにくの天気でしたが、花火等を含め北京オリンピックの開幕式を連想する光景が見られました。

 

 −膠州市日系企業商工会活動状況−          
6月23日 青島萩原工業副総経理松原氏送別会
7月 2日 15:00〜 青島ナトコ塗料有限公司会議室  「賃金及び労働条件等現況について」勉強会開催

  −膠州市日系企業商工会連絡先−

会  長 青島獅子食品有限公司       安達(携帯:13573886580

副会長  耐涂可涂料化工(青)有限公司  国立(携帯:13808980302

事務局長 青島華蝶塑膠制品有限公司     澤田(携帯:13953262880

膠州市内の日系企業で未参加の方はご連絡お願いします。

↑topに戻る

 


 

 

〜広げよう!楽しもう!チンタオ友の輪!〜

12人目:大芝光輝さん(青島光輝工芸品有限公司 駐在歴9年9ヶ月)

 青ソフトボル同好の秘密結社「シャインズ」仲間である、島住友商事の塩谷知己よりご紹介賜わりました。

 「大きな芝が光り輝く」と書いて大芝光輝(おおしばこうき)と申します。
名は体を表すという言葉がある通り、私も身体の一部が見事に光り輝いております。
どこかって? 写真を見れば一目瞭然ですね・・・眼ですよ、眼!
という冗談はさておき、中身も光り輝かせるべく日切磋琢磨する69ersの一員です。

 さて、こんな風貌ですと、これからの時期(夏)は苦絶えません。
けするんですよ、皮しちゃうんですよ・・・頭が!
もともと色のため日けはドンとい、でも皮は勘弁ということで、間の外出時はけ用ロション(コパトンの一番力なヤツ)を塗っています。
街をいている時にココナツの甘い香りが漂ってきたら、私が近くにいると思ってください!

なお、私の社ではティグッズやぬいぐるみキホルダを取り扱っております。

 商品に影響されるのか「お祭り男」の部分があり、先日のソフトボル同好杭州遠征では塩谷先生とともにデカイ花火(ホムラン)をドカンとあげてきました。
花火は夏の風物詩ですが、ハロウィンやクリスマスのグッズという秋冬物も生産しており、一年中イベントで過ごしています。
 

   

  このように私がはしゃいで生活していられるのも多後見人あってのこと。

YTTT各氏のご紹介は別の機とさせていただき、13人目の「友」としてシャインズが誇る後見人、親父貴(おじき)こと中村直嗣先生(山口銀行)にご登場願います。

↑topに戻る

 


 

 

〜同好会 Q&A〜

同好会無くして青島ライフは語れない?!
公認サークルはじめ、各同好会の様子をお伝えします



Vol.2 ヨット同好会(日本人会公認) 

@  最近行った活動・イベントは?
 週末のセーリングの他に、中国のNPOであるNOCSP(National Olympic Community Sailing Program)の日本人子供向けのヨット教室を支援しています。6月6日から7月10日までの毎週末、20名近い日本人の子供たちが参加しています。

A  今年度のヨット同好会の目標は?
 青島在住の日本人の方へのヨットの普及が目標です。大人・子供を問わず、より多くの方に、青島ならではの手軽で、楽しいヨット活動を体験、楽しんでもらいたいと思います。又、JSAF(日本セーリング連盟)・JADS(日本障害者セーリング連盟)と協力し、日中間のセーリング交流を促進して行こうと思います。

B  今後の活動予定について
 夏休み期間中のNOCSP子供ヨット教室を7月26日(月)以降、平日に開催予定です。又、8月16日(月)から22日(日)の青島市主催ジュニア国際ヨットキャンプへの日本人の子供たちの参加を促進して行きます。レース活動面では、昨年優勝したシャングリラカップは、今年は開催されませんが、8月19日(木)〜24日(土)の青島国際インターナショナルレガッタに参加予定です。

C  ヨット同好会のアピールポイント
 初心者も乗り易いWetaというトリマラン(三胴艇)を保有し、オリンピックマリーナで活動しています。年会費は30,000円で、あとは交通費だけでヨットが楽しめます。初めての方への個人レッスンも随時行っています。青島は手軽にヨットを楽しむには最高の環境ですので、是非この機会に青島でヨットを始めてみては如何でしょうか。

D  連絡先
 飛坂会長:139-0639-1975   荒木マネジャー:138-0542-3716

↑topに戻る

 



県人会だより

 〜東北弁を愛する会〜

チンタオで密かに数を増やしている各県人会。
今回は東北弁を語る会をご紹介します。

Q:いつ頃どのような経緯で設立されたのですか?

A2008年に、宮城県出身者等3名が中心になって、東北の思い出を語りながら楽しくお酒を飲むことを目的に設けられました。

Q:どのくらいの頻度で活動されていますか?

A基本的には隔月で開催しています。今回の7月の会で記念すべき10回目を迎えます。

Q:会の雰囲気は?

A日本人、中国人に関係なく、東北に縁のある方がたくさん参加されています。学生のときに住んでいた方、家族旅行で訪れた方、奥様が東北出身、などなど とにかく何らかの形で東北に携わっていた方は、来来です。会では、様々な方言が飛び交います。東北6県だけでもこんなに言い方がちがうのかと思うことが多々あります。勉強になります。

Q:参加者は何名ぐらいですか?延べ人数は?

A26組(家族、単身)です。総人数は40人弱くらいです。延べ人数は、毎回約30名の参加と考ると、次回で単純に300名といったところでしょうか。  

Q:“東北弁を語る会”では何県の方たちが参加されていますか?

A東北6県が完全集合しました。ちなみに、青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島です。結構東北を知らない方もいらっしゃるので、念のため・・・(*^_^*) 。

 

Q:今後の抱負は?

A現在は、ホームグラウンドである「日本料理 月山」の二階を貸し切りにさせていただいていますが、ゆくゆくは、全館完全貸し切り状態にしたいなあという野望もあります。さあ、東北に興味のある方、何らかの関係がある方、どしどしメールや電話でお問い合わせください。お待ちしております。次回懇親会は、7月10日(土)に開催予定です。

Q:最後に東北弁をいくつかご紹介下さい。

Aでは、仙台と会津で共通している方言をいくつか。

 @ 「かっちゃぐ」・・・ひっかく。(ねごに、かっちゃがれだ)
 A 「なじょ」・・・どう。どのように。(なじょしたらいいべ)
 B 「ねっぱす」・・・貼る。(こいづ、ねっぱしといで)
 C 「〜っつったべ」・・・〜て言っただろ。(やめろっつったべ)
 D 「へばね」(宮城)
   「んじゃない」(福島県会津若松市)
   「まだない」(福島県郡山市)
   「また今度ね」(標準語)

 

 事務局:國分(メール受付)、石井(電話受付)

     E-mail  qingdao2009tohoku2@yahoo.co.jp 

 電話:158−2008−3931

 

 ***「県人会だより」では、各県人会のご登場をお待ちしています!我らこそは!という方は、編集部gekkanqingdao@yahoo.co.jpまで。また、「県人会を作りたい!」という方、ゲッチンを通じて同志を募ってみませんか?***

↑topに戻る

 


 


青島・老房子と日本人

 〜青島神社〜

 

1915年から1945年の30年間、2度に亘って日本の統治下に置かれた青島では、4万とも5万ともいわれる日本人が住んでいた。かつて街のいたるところでは「中野町」「 伊勢町 」といった日本名の道路名が名づけられ、着物を着た日本人が往来を歩いていた。今でも約70年前と変わらず、街のあちらこちらには日本人がかつて住んでいたり、勤めていた、縁ある建物が残っているのをご存知だろうか。かつて青島で子供時代を過ごし、現在青島にお住まいの足立吉弘さんが、そんな“老房子”をご紹介します

 青島神社は1918年着工、1919年10月に竣工しました。
遼寧路から大鳥居をくぐると緩やかな上り坂の長い参道があり、その先に広場、さらに百段以上の石段を登ると壮厳な社がありました。
参道の両側に桜並木があり、境内のいたるところに桜の樹が植えられて、桜の季節には花見でにぎわい、毎年春秋には大祭が行われ、大相撲の巡業などもあって、在留邦人に親しまれてきました。青島神社の社格は「別格官幣社」、ご祭神は天照大神と明治天皇。
ご神体は「鏡」だったそうです。
 

 
青島神社の後ろは「若鶴山」(現貯水山、ドイツ名モルトケ山)で、松の緑を守るため一般の立ち入りは禁止され、山全体に鉄条網が廻らされてありました。
青島神社への出入り口は大鳥居のある表参道、東側は黄台路につながる南門、北側は吉林路に出る北門の3か所でした。
敷地としては妙心寺(吉林路と泰山路の角)の裏近くまであり、その広さは靖国神社の2倍ともいわれています。

 
終戦となり、当時の宮司・宮崎氏は12月20日、青島神社を閉社して帰国船に乗船、 ご神体を無事明治神宮に納め、任務を終えました。
ちなみに神社に奉仕する神官は内務省所属の公務員だったそうです。
 

 翌年4月20日、一般在留邦人最後の引き揚げ船に乗船する人たちは、青島神社前広場に集合し、全員で神社参拝を済ませ、アメリカ軍が差し向けてくれたトラックに乗り込みました。  戦時中、在留邦人は必勝祈願に駆り出され、最後まで日本精神主義の支えとなった青島神社は、ここに終焉を迎えました。

 あれから60有余年、今や多くの市民の憩いの場(児童公園、遼寧路)と生まれ変わり、親子孫3世代が楽しめる公園にしようと、更に工事が進んでいます

↑topに戻る

 


 


助けて長さん!パソコン講座

 〜第10回 ブルートゥース、使いこなしてますか?〜

ブルートゥース、中国名「藍牙」をご存知ですか? 
日本では数年前から知られていますが、中国でも最近流行っています。
今回はおすすめのブルートゥースの使い方についてご紹介しましょう

 ブルートゥースとは、(A)パソコン、携帯電話、ゲーム機、電子手帳などのデバイスと(B)イヤホン、プリンター、マウスなど端末を10m以内の無線状態でつなぐツールです。またAグループ同士であれば、デバイスとデバイス同士の接続も可能です。例えばブルートゥースを搭載したパソコン同士であれば、データのやりとり、ゲーム機であれば同時対戦ができます。

 この(A)同士の利用法で私の一番のおすすめは、パソコンと携帯電話の接続。携帯電話に電話がかかって来た時、電話の音が鳴る前に発信者の情報をパソコン画面上で知ることができます。また、特に中国では「短信(ショートメッセージ)」のやりとりが多いですね。でも中国語でメッセージを受け取っても意味がわからない、自分が中国語で書くのは面倒。。。そんな時は、携帯に届いたメッセージ内容をパソコンに取り込み、日中翻訳サイトで訳せば大丈夫。送りたいメッセージをまず日本語で打って、翻訳サイトで訳してから、それをブルートゥースを利用して携帯電話に移してから発信。これは私のいち押しの使い方です。携帯とパソコンをブルートゥースでつなぐには、携帯電話購入時に同封されている付属CD(又は、携帯電話機メーカーのHPからダウンロードして)を使って、自分のパソコンとの接続を設定しておきましょう。

 他に、一番利用されているのは、携帯電話のハンズフリー。片耳にちょこんとひっかけるブルートゥースの小型無線送受信機を使えば、耳から垂れた線がない、無線状態でのハンズフリー通話を10m範囲内で行うことができます。10mといえばちょっとした距離ですので、自宅やオフィス、運転中にとても便利です。日本ではこの小型送受信機、形も色も様々あって、おしゃれなデザインやデコレーションされた物などが売られていますよ。夏休みに帰られたら電気店をチェックしてみて下さい。

 自分のパソコンにブルートゥースが搭載されているかを調べるには、リボンをタテにしたようなマークがあるかどうか調べてみてください。もし内臓されていない場合も電子城でUSBの外付けブルートゥース受信機を買えば大丈夫です。携帯の場合、中国なら大抵内臓されているはずですが、大事なのはブルートゥース機能をONにすること。携帯の機能設定を調べてみてください。

  「チンタオで買えるおすすめブルートゥースについて知りたい」「代わりに買ってきて欲しい!」という方は、長さんがあなたのお手伝いをさせていただきます。(費用は実費と交通費)“助けて長さん!コール”は13863946397まで。

↑topに戻る

 


 


会長はシェフ! 7月レシピ

 〜夏だ!冷しだ!ブッカケうどんのパーティーメニュー〜

 

 

  材料(8人分):
冷凍ウドン:8玉、お好みで太め・細めを選ぶ。干麺でも良い。

麺つゆ:濃い目に希釈し、4カップ分。カツオの効いたものがお勧め。

具:天カス(2袋)、納豆(4パック)、ナメ茸瓶詰(1瓶)、
  メカブ昆布(3パック)。

具材料:玉子(6個)、かにカマ(適量、なければ蒲鉾、イカ団子)、季節の野菜    (ナス、しし唐、オクラ、キュウリ、豆角=清湯麺に入っている細長いイン     ゲン風のやつ)、その他冷蔵庫の残り物で合いそうなもの。

薬味として:刻んだ万能ネギ(2−3本分)、大根おろし、赤カブ(細かく刻む)、      削りカツオ(1〜2小袋)、刻んだ青しそ、おろし生姜、練ワサビ、
      炒ゴマ(白)、ミョウガ、柚子胡椒等、お好みで。

■作り方:  
1:麺つゆは氷を溶かして薄め、冷やしておく。やや濃い目が具を引き立てます。
:具の調理
 @ 玉子は白身を切るように軽くほぐし、フライパンで薄く焼いてから細切りにしてお  く。  
 A 
かにカマは、かるく茹で、冷えてから細くバラしておく。
 B  キュウリは、水を流しながら揉に洗いし、千切りにしておく。
 C  オクラは、塩でこすり細かい毛を落としてから、軽く湯がいて、小さく輪切りにし  ておく。  
 D 
豆角は、5mmぐらいの長さに切って、軽く塩をいれた湯でしっかり茹でて、水を  切る。
 E  ナスは皮に切り目を細かく入れてから細切にし、しし唐はヘタをとって天ぷら油で  素揚げにする。フライパンに大目の油と強火でさっと炒めてから油を切っても良  い。

3:ウドンのゆで方(指導:大谷名誉会長)
 冷凍ウドンは、鍋にお湯をしっかり沸騰させてから入れる。ウドンがバラけるぐらいで 仕上がるので、茹ですぎないこと。
 素早く冷水で揉み洗いし、ぬめりをとり、氷水で締める。

4:盛合わせ
 具と薬味は個別の小椀に盛り付けて、それぞれにレンゲかスプーンを入れておく。
 麺つゆは大きな器に入れてテーブルにセット。大皿に盛ったウドンに氷を乗せて出し ます。各人の小椀にうど ん、好みの具、薬味をいれて、麺つゆをぶっかけ、バリエ ーションを楽しんで下さい。
 

■食べ方のポイント:
 納豆、天カス、オクラ、ネギ、練りワサビの組み合わせがスタンダード。一人で食べ ても美味しい!ぬめりのある納豆・オクラ・エノキの瓶詰・メカブ昆布等を他の素材 と絡めて食べるのが秘訣。色々と使い道のある豆角の食感を、是非試してください。 材料は殆どジャスコ東部店で入手可能です。ミョウガがあればいいんですが、青島で は手にはいりそうもありません。ミョウガは中国南東部原産。だれか地下茎をもって きて!栽培してみます。

  <特別ゲスト!領事夫妻、ブッカケうどんを試食>

 この日は、飛坂長の招待を受けた齋藤領事夫妻が特製ブッカケうどんを試食されました。そのご感想は。。
「おいしい!夏にぴったりの一品ですね。島でこれだけの物が揃うのですか、トッピングもこんなにあれば、養もれて夏バテ解消もできるし、豪華でパティー気分です。パティで出す時はうどんの太さもいくつか用意して皆で食べ比べてみるのも面白いかもしれませんね。

↑topに戻る

 


 


だーぐぅ爺のひとりごと

 〜当世中国結婚事情〜

 イヤァ参った。参った。健康がなにより取り柄であったがチョットの気の緩みからか腹に背に疱瘡が出ての、痛いのナンの普通の病気であれば寝るのが一番じゃが、寝ると背中が痛いし、寝返りもできん。帯状性疱疹というらしい。大変な目にあったよ。

 ところでじゃ。先日、知り合いの中国人夫婦から娘さんの結婚について聞いたのじゃが、大学のときに男朋友ができての。卒業になってやれ結婚したいのと言い出したのじゃ。就職も難しい時代じゃが、まあ男の方は良い会社に入ってな、給与もそこそこ出るし、娘も就職が決まったので、親としてはチョット早いかも知れぬがまあ仕合せにやれやと言いたいところと思うがの。 「許さぬ」と言うんじゃ。何故にと聞けば相手が貧乏だからとバッサリ。

 そりゃあ親とすれば娘を玉の輿に乗せたいのは解るがそればかりではないというのは古今東西 色んな小説や格言で話されておる。

 ちなみに青島で嫁を貰うには、彼女の親に最低6万元持って挨拶に行き、人物品定めして貰うということじゃが、そのとき大事なのは家があるか?ということじゃ。まず第一ラウンド6万元、第二ラウンド持ち家。これが条件。

 ワシの若い頃はみな貧乏が当たり前でそれでも結納とか、土地によっては派手な風習もあったが、仲人口もあったろうが、若い二人の意思とか、将来を買うとかでうまくまとまっていったように思う。家にしたって、最初は借家で、将来1軒家をというのがまあハングリー精神というか頑張る礎のようなところがあった。

 一人っ子政策で男の子が所望されるわけじゃが、男の方の親としてはじゃ。大学を卒業させ、嫁を娶らせるまで経済的負担をしなくてはいけない。家の名前を継ぐ名籍料というものかの。どこぞの国のトップにいつまでも「こども手当て」が振り込まれているという目出度い家庭もあったが、今の親が結婚する頃はそれこそ皆貧乏で大変な時期であったと思う。わが子にはその思いをさせたくないということかも知れぬがあまりに過保護というか甘やかしではなかろうか。
 
 
ワシは古くさいかもしれぬが「そこそこ」というか分際というのが大事と思うとその夫婦に言ったのだが、そういうところになると言葉が通じないような顔をされて他の話題に切り替えられてしまったよ。

↑topに戻る

 


 


浮山情的書評 -(その2)-

 〜実録アヘン戦争〜

 陳 舜 臣 中公文庫(1985年

 著者のまえがきに「概説といえば焦点が定まらずに総花的になり退屈になりがちのものである。だが『読める』本にすることだけは小説家の面目にかけてもはたさねばならない」と記している。重大な歴史的事件を「罰当たり」にも興味深く読み進んだのは事実である。

 ストーリーは世界企業の「イギリス」商会が、落ちぶれてきた老舗の大店「清」商店から茶葉を買い、毛織物など得意の商品で支払おうとしたが、「不要」で現金決済となった。それではかなわぬので禁制品アヘンを持ち出す。今度は逆に、麻薬が欲しさに銀貨が湯水のごとく流れ出る。怒った「清」の店主は番頭に取引の停止を命じるが、牙をむき出した暴力団「イギリス」商会は寝所近くに発砲。怖れた店主は取り巻きの口にのって、堅物の番頭を左遷し、以後は脅しに屈してしまい、いいようにされてしまう。これが、何とも酷い「実録」である。

 舞台の広州は北京から遠く離れ、また、イギリスにしてもロンドンと頻繁にやり取りする距離ではない。双方ともに現地からの それぞれに都合の良い報告や、お願い事で判断せざるをえない。前哨戦においてすでに、時代物の大砲しかないのではどうしようもないことを訴えるが、平穏の中で生活する貴人には馬耳東風といったことにしかならない。要は現地を知り、檄文の行間にある意を汲みあげて進言してくれる人脈(パイプ)が重要である。

 アヘンはお断りだが、それ以外の商品であれば自由に交易しても良いとする清国にあくまで戦争に突き進んだのは、アヘンを没収され、禁止になればインドの経営ができなくなる。「アヘン戦争」とは清国にアヘン貿易を認めさせるのが戦争の主目的であって、広州以外にも通商地域を広げよといった変則貿易打破の要求はたんなる口実にすぎなかった。

 戦火は、相手の物量、威力を知らずに攘夷を叫んだ日本の幕末と同様、赤子をひねるような侵攻であった。莫大な賠償金や香港割譲が明文化される。1842年のことである。

 それにしてもイギリスが「紳士の国」と誰が、いつから言い出したのか。著者は、アメリカはアヘンを扱わず、内心は戦争の拡大と清国の徹底的な屈服を望んでいたに違いないが 清国に取り入ることで、英国が軍艦と大砲で獲得した同じ成果を得た。(この局外にいた)アメリカの姿勢が、中国に親米ムードが瀰漫し、朝鮮戦争まで続いたとしている。

本書とは関係ないが、日本では、品川沖に号砲轟かせ、開国を迫ったのは米国で1853年のことになる。イギリスといえば、薩長との海戦が縁となり新政府に協力し、その後日英同盟に発展している。

主役であった左遷された硬骨官について本文で書き足りなかったか「それからの林則徐」という付録をつけ英雄を葬っている。( 2010.6.27

↑topに戻る

 


 


チンタオ情報あれこれ

 〜水族館のあるビユッフェレストラン〜

 暑い夏にぴったり!まるで水族館の中にいるようなビュッフェレストラン「浄雅」では、壁一面が大きな水槽になっていて、亀や魚たちが泳ぐようすを楽しみながら食事ができます。それにここのビュッフェのもう一つの特徴は、カードを使ったハイテクオーダー。ビュッフェって並んだり、中国語で別注文するのが面倒な時あり。だけどここでは並ぶことなし、中国語で話す必要もなし。お店で渡される自分専用のカードを使ってパソコン画面を見ながら注文したい品を簡単に選べます。食事は和、洋、中、韓の4種類。ドリンク類もワイン、ビールが飲み放題、デザートのアイスはハーゲンダッツと充実。ランチ168元、ディナー198元。

東海中路30号銀海大世界内、11:30-14:00/17:00-21:00 TEL:68873666 http//www.jingyagroup.com/

  

〜鼎泰豊 オープン〜

 7月1日、百麗広場(マリーナシティ)に小龍包の名店「鼎泰豊」がオープン。鼎泰豊は台湾に本店を持つ人気小龍包店。上海や北京、天津の他、日本でも東京にお店があり、ファンは多い。チンタオ店でも小龍包は大きなセイロで30元。種類は通常の肉ベースの他、海鮮、あんこなどがあります。味はさすが専門店と唸らせる薄いながらもしっかりした皮、熱々でジューシーなスープ溢れる具が何個食べても飽きないおいしさです。あんこ入り小龍包はまるで薄皮まんじゅうのような新鮮さ。他にも前菜、アラカルト、麺類がオーダーできます。ハーバービューを楽しめる個室あり。接待用レストランとしてもおすすめです。

澳門路百麗広場内、TEL:85727249 http://www.dintaifung.com.cn/

↑topに戻る

 


 


「チンタオ写真館」

 〜テーマ:スポーツ〜

 今回のテーマ「スポーツ」は、投稿写真はありませんでしたが、キャノン事務所にて開かれた写真同好会6月定例会の授賞作品等をご紹介します。

  

「公園の噴水」撮影者:さかえ     「水遊び」撮影者:Nikon

 

   

「葉っぱの輝き」撮影者:北野     「チューリップの輝き」撮影者:北野

 

   

「ファミリー」撮影者:Nikon        「真剣な眼差し」撮影者:Nikon


 次回8月号でのテーマは「初夏」です。皆さんからの投稿をお待ちしております!

(投稿締切りは6月末です。)投稿は、gekkanqingdao@yahoo.co.jpまで。

↑topに戻る

 


 


連載エッセー Long Walk 

 〜No12〜

 

↑topに戻る

 


 


イベントカレンダー

【日】日本人会 【領】総領事館 【学】日本人学校 【貿】ジェトロ

7月

 1日(木):【領】個人光査証取扱開始
 7日(水):【学】授業参観

 8日(木):【貿】2010年消費電子分野持続可能発展する国際フォ

 9日(金):【日】学校理事会
10日(日):【日】日本人会ゴルフ会(桃源ゴルフ場)

13日(火):【学】音読朝会        【日】日本人会理事会

17日(土):【日】ちんたお文庫長期休暇前最終日
18日(日):【日】沈寿官氏講演会
21日(水):【日】商工会第2回セミナ
23日(金):【学】1学期終業式

 

8月

25日(水):2学期始業式
26日(木):【日】ちんたお文庫再開日

 


 

〜あなたの声をお聞かせください〜

『声』 〜あなたの声をお聞かせください!〜 チンタオライフ、満喫していますか?こんな事があったらいいなあ、こんなことはできないだろうか?などなど、 あなたの日頃の想いとグッドアイデアをお聞かせください! 記名、匿名問いません。あなたの貴重な声をお待ちしています! 声はこちら→gekkanqingdao@yahoo.co.jp

↑topに戻る