目 次

■ 天皇誕生日レセプション開催
■“寛平ちゃん”チンタオに来たる!
■ 速報!ソフトボール同好会、中国チャンピオンに!!
■ 在青島日本国総領事館からのお知らせ
■ 青島日本人学校からのお知らせ
■ ちんたお文庫休刊日のお知らせ
■ 12月号 特集 〜アラフォー座談会・老板を支える中間管理職〜
■ 日本人会成立20周年特別企画コーナー
■ 広げよう!楽しもう!チンタオ友の輪!
■ 同好会 Q&A 〜ゴルフ同好会〜
■ 住めば都よ、一度はおいで! 〜ポーランドで日本料理伝授〜
■ 青島・老房子と日本人 〜植林にいのちを燃やした日本人〜
■ 会長はシェフ! 〜12月特別レシピ「餃子鍋&つけ麺」〜
■ だーぐぅ爺のひとりごと 〜当地での「不祝儀」見聞記(その二)〜
■ 浮山情的書評 〜魔都上海〜
■「やっぱりこれが好き!」 〜焼き芋編〜
■ チンタオ写真館
■ げっちんアンケート
■ イベントカレンダー

 

 

NEWS


天皇誕生日レセプション開催

 12月16日、 天皇陛下の77歳のお誕生日を寿ぎ、在青島日本総領事館主催による「天皇誕生日レセプション」が開催されます。天皇誕生日レセプションは在外公館(大使館、総領事館等)において、毎年、天皇誕生日を「ナショナル・デー」と位置づけ、 在留邦人、現地政府、経済界、学会関係者等を招いて行われる行事で、青島総領事館では初めての開催となります。日本人会会員の出席については、申し込みをされた方に別途日本人会から案内状を送付しますので、ご出席申し込み、お問い合わせは日本人会事務局までご連絡下さい。
        【日時】12月16日(木)15:00-16:30(14:30受付開始)
        【場所】シャングリラ・ホテル 盛世閣2階 大宴会場
 

 

“寛平ちゃん”チンタオに来たる!

 マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」で、現在中国を横断中の“寛平ちゃん”こと間寛平さんが、中国最後の経由地であるチンタオにやって来ます!これまでに入った情報によれば、間さんは、12月26日にチンタオ着、チンタオで数日過ごした後、大晦日の12月31日に日本・福岡に向けてチンタオを出発予定、ヨットで福岡に向かうとのこと。ゴール宣言が出されたばかりの1月21日の終点地・大阪を目指します。チンタオでの寛平ちゃん関連のイベントについては詳細不明ですが、ゴール、出発の際のアレンジ等、詳細がわかり次第、日本人会よりご案内しますので、年末をチンタオで過ごすご予定の皆様はご参加ください!

 

 

速報!ソフトボール同好会、中国チャンピオンに!!

 去る11月下旬に上海にて行われた、「中国国内日本ソフトボール大会」で、青島日本人会のソフトボール同好会が目覚しい活躍を見せ、見事強敵陣を抑えて優勝!中国チャンピオンの座に輝きました!この喜ばしいニュースの第一報を皆さんにお届けしますとともに、詳細は次号にてお伝えいたします!

 

 

 

在青島日本国総領事館からのお知らせ

総領事館代表電話:0532-8090-0001
総領事館ホームページ http://www.qingdao.cn.emb-japan.go.jp 



〜邦人安全対策セミナー(医療セミナー)を開催しました〜

 11月9日(火)、在中国大使館稲富医務官を講師に迎えて青島日本人会と共催で医療セミナーを開催しました。講演のポイントは以下のとおりです。

 

○インフルエンザ対策
・今シーズン世界中で予防接種しているインフルエンザワクチンは、昨年度流行した
 2009年H1N1型を含む混合ワクチンである。 
・仮にインフルエンザ予防接種しても、7割程度は罹患するので、有効性は3割程度と 考えられたい。
・しかし、予防接種をしていれば罹患しても比較的軽度ですむので、本人はもとより、 家族や職場全体での予防接種をお勧めする。

○その他
インフルエンザ対策以外に、先月末に北京で行われた在留邦人向けの医療セミナーにおける中国医療事情や最近増加傾向にある海外赴任者のメンタルヘルス問題について、各種事例を交えながら紹介がありました。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。



 

 

 

 青島日本人学校からのお知らせ

http//www.qingdaojs.org/
 

中学部交流会

 中学部18名が、昨年度から引き続き学校近くの「青島六十五中」と交流会を行いました。今回はこちらから六十五中に訪問させていただき、一緒に国語(中国語)や体育の授業を受けたり,お昼ご飯を食べながら日本の文化を紹介したりすることができ、大変充実した交流ができました。はじめは不安もあったようですが、国や言葉は違えど同じ中学生ということもあり、あっという間に仲良くなることができました。

  

持久走大会

 今年も持久走大会が行われました。小1・2の1000mから中学部男子の4000mまで各学年ごとの距離を走りました。今年度は、約2ヶ月前から朝の時間を使って、全校生が毎日のように走り込みを続けてきました。その成果もあり、全員完走そして、ほぼ全員が当日は自己新記録をだすという素晴らしい結果を出すことができました。持久走大会が終わっても、寒さに負けない健康な体づくりために、朝走る姿がいまだに見られています。来年はさらなる自己新記録がきっと出ることでしょう

  

〜日本人学校・事務職員募集〜

島日本人学校では事務職員を募集しています。年齢・性別は不問ですが、

日本人優先とさせていただきます。詳しくは担当(竹田)まで 学校までお問い合わせください。

問合せ先:0532-8569-8260(担当:竹田) メール:qingdaojs-jimu@qingdaojs.org 

学校所在地:青島市市北区同安路56号  学校ホームページhttp://www.qingdaojs.org/

 

 

 

 

ちんたお文庫休刊日のお知らせ

 12月23日〜1月1日まで、冬休みのために長期休館します。再開館日は1月6日(木)です。ちんたお文庫の最新情報、開館状況につきましては、日本人会ホームページにてご確認下さい。

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月刊青島12月号 特集

「アラフォー座談会〜老板を支える中間管理職〜」

 今月はチンタオ駐在員として活躍する、日本企業の“アラフォーメンバー”の皆さんのご登場です。社内No.2として、日本人トップを支え、中国人スタッフを育て、日中経済の一端を担う働き盛りのアラフォー管理職たち。そんな彼らの日々の想いと本音、チンタオライフの過ごし方についてお話を伺いました。

  

チンタオ暦と駐在任期

編集部: 皆さんのチンタオ歴、駐在任期やポジションについて教えて下さい。

中村氏:
 山口銀行の中村です。2006年にチンタオに来ました。うちは1つの部署に5年というのが決まりなので、もうそろそろ任期満了かもしれません。仕事は赴任した当初は課長代理でしたが、今は次長になり、管理職として非常に難しいところです。本来はセミナーを行ったり、営業強化をもっとしたいけれど、日々の業務に追われてできないこともあり、ジレンマを感じる今日この頃です。

遠山氏:
 
日清製粉の遠山です。私が来たのは2006年で、現在チンタオ歴は4年6ヶ月、中村さんとは2ヶ月違いですね。我々は特に任期は決まっていなくて会社の判断次第です。だからもう少しチンタオライフを楽しみたいなあ、と密かに願っています。私は2番手ではなく2番手グループの一人ですが、年齢的に一番上なので、2番手としては何かしなければならないという気持ちと、この場合は自分ではないかなという気持ちの両方があります。

宇都宮氏:
 みずほコーポレート銀行の宇都宮です。2007年10月から赴任準備して、2008年1月から赴任しました。弊行では決まった任期はありませんが、平均して3〜5年くらいです。私自身は入社して20年余りですが、実は1つの部署や都市に最長で3年くらいしかいたことがないんです。だからそろそろ心の準備をしなければと思っています。立場は中村さんと同じNo.2ですが、実際の立場はかならずしもNo2ではないかもしれません...。

西本氏:
 三菱商事の西本です。2005年6月にチンタオに来たので、皆さんの中では一番長いかな。 仕事は食料担当で、対日輸出や新規案件の開発などもやっています。ポジションは中村さんと同じ日本人No.2ですが、「経理(マネージャー)」グループの一人です。

下地編集長:
 では司会の私も今回はこの座談会の一メンバーということで参加させていただきます。総領事館の下地です。総領事館が正式開館してもうすぐ2年になりますが、私は昨年の10月に赴任しました。チンタオ歴はようやく1年になるところですので、この中では一番の新参者でしょうか。 今、スタッフは日本人が外務省からの派遣7名を含めて計10名です。私も肩書きは首席領事となっていますが、実は「首席」という名称は正式な官職じゃないんです。総括という意味で便宜上ついているというか...。首席というと偉そうですが、年次で言えば下から3番目です。自分のの仕事は、館の総括、在留邦人の方の安全の会確保など、本来の危機管理の仕事以外に、政治、経済、文化などすべてをカバーする何でも屋ですね。チンタオ歴はようやく1年になるところですので、この中では一番の新参者でしょうか。

No.2としての社内での苦労

下地編集長:
 
外務本省は、人数も多くてまさにヒエラルキーの世界ですから、この歳で管理職なんて一度もやったことがありませんでした。だからなってみて初めて「管理職としてやらなきゃいけないことがこんなにたくさん!今までワガママばかり言ってたなあ。」とつくづく感じました。それに役人って基本的に年次の世界ですから、色々と気を遣うことも多いですね。二番手としては、「トップを支え、トップに無駄なことをさせない」ということを心がけています。まだまだ至りませんが。

西本氏:
 大きな組織から小さな組織に来るとほんとにそうですよね。私も総経理が不在だといろんな会合に代理出席しなければいけないことがありますが、現地法人が本社代表の立場になることもあり、総経理の責任を実感しますね。

下地編集長:
 そうそう。私なんか、総領事が不在だと、ある日瞬間に中国側主催の行事に出て行って「日本国を代表して...」って演説しなきゃいけないことがあるんです。で、演説しながら「俺でいいのか?!」って思うこともあります(笑)。

宇都宮氏:
 銀行で言えば、決裁権限というものがあります。支店長にある決裁権限を、支店長不在時に私が代行することがあります。そんな時はとても責任を感じますね。

中村氏:
 私はその責任の伴うハンコを総経理が不在の時に代理で押した後、失敗したり叱られたりと痛みを受けることもありますよ。それは罠?って思ってしまう時もあったりします。

遠山氏:うちはそういう意味では、総経理の代理としてという役割は少ないですね。しかしお金の決裁については総経理と私しか出来ない決まりです。2人とも不在だとお金を一切動かせないので、「総経理がいない時は会社を空けないように。」って思いますし、総経理の予定は頭にしっかりと入れておかないと。中村さんみたいに後で叱られることは無いですけど。


中国人スタッフとのやりとりで気をつけること

西本氏:
 オフィスに16名の中国人スタッフがいますが、本店とのやりとりの中で、日本人スタッフからもう少し詳しく聞きたい、と担当ではないのに説明を求められたり、担当者が不在だからとこちらに取り次がれることもありますが、担当とのやりとりがあるのに日本人同士で話をつけてしまうような結果にならないように気を付けています。

遠山氏:
 
私も似ていますね。日本人の管理職は入れ替わり、中国人社員はどんどんポジションアップしてる。だから会社が出来た頃の日本人が上司、中国人が部下、という構図では決してありません。だけど日本本社は、日本人に連絡すればよしとしてしまうことが多い。こちらとしては中国人幹部とお互いの立場は尊重しなければいけないし、かといって本社の人はこちらの事情はわからないし、困ることがあります。

中村氏:
 私が思うのは、中国人スタッフはとても能力を持っているのに、その力を生かしきれていないんじゃないか、ということ。それに権限といっても基本的にすべて本店が最終決定権を持っていますので、管理そのものが難しい。さらに目前の仕事に終われてしまい、人材管理の部分がおろそかになってしまっていることもありますね。

宇都宮氏:
 私たちの支店の現地中国人スタッフの数は約50名おります。一方日本人は4名です。支店長と私ですべてのスタッフのことをきめ細かく管理するのは不可能です。よって仕事の内容に応じて6つの課に組織を分けてます。その6名の課長と密にコミュニケーションを取ることが大事です。青島支店はまだ新しい支店なのでこれからですけど、本当は私のポジションも現地の人にやってもらえるような現地化が理想ですね。

中村氏:
 えっ?!じゃあ、例えば中国人の支店長の可能性もあり、、、ですか?

宇都宮氏:
 
ええ。ほかの地域には中国人支店長はいましたし、上海の本店のNo.2は中国人で、部長クラスはすでに何人もいますよ。

下地編集長:
 うちは総領事館という性格上、現地化ができるところじゃありません。だから、日本人がやらなきゃいけない仕事、中国人がやる仕事と分けざるを得ません。そういう中で中国人職員の能力ややる気をどうやって生かしていくかが難しいところです。「この組織にいたことが君の能力と経歴アップに役立って欲しい」、といつも心の中で思っています。



そろそろ今夜の本題?!“老板”との関係

中村氏:
 実は、私と兼重支店長とは同じ広島大学の先輩後輩なんです。私が1年の時、支店長は4年で、エスキーテニスっていう、スポンジボールを4mX8mのコートで打ち合うちょっと変わったスポーツのサークルに二人とも入っていました。支店長がいるからではないのですが、私も卒業後、山口銀行に就職しました。入社して10年経った頃、名古屋支店で4年間一緒でした。それから時が流れて、2004年に私が中国に留学しろと言われた同じ日に支店長も大連の大学に行くように言われたそうです。で、2008年から予想した通り、チンタオでご一緒することになりました。

宇都宮氏:
 すごい。相当宿命的ですね。

中村氏:
 そうなんです。自分で言うのも変ですが、非常に濃い関係ですよね(笑)。支店長はとにかく頭のいい方で、うっかり余計なことを言うと自分が窮地に追い込まれるから大変です。時々心の中で「昔と今は違うでしょ?!」と思いながら、頭を下げることもあります(笑)。

宇都宮氏:
 私は中村さんほど宿命的ではないけれど...。同じみずほと言っても吉田支店長は元第一勧銀、私は元富士銀と出身銀行が違います。最初の出会いは2007年の夏。深センに赴任していた支店長が日本に一時帰国した際に、当時東京にいた私の飲み友達が支店長の元部下であったという関係から、お酒を一緒に飲む機会がありお会いしたのが初めてでした。その時は「なんて目が大きいひとなんだろう」という印象しかなかったのですが、私が「できれば中国以外の海外で勤務したい」と思っている話をしたら、何を誤解されたのか、「中国に戻りたいなら、ちゃんと手を挙げなきゃいけないよ!」って言われて困りました。ほら皆さんもご存知の通り、とても勢いのある方ですし...。だからその後、青島の開設準備の日本人が支店長と私に決まってびっくり。支店長も「そっかぁ!俺のアドバイス通りにしたのか。」って言われて、いや違います、とは言えなかった。でも仕事上はあの通りざっくばらんな方なので、気心が知れていてとてもやりやすいです。多分他のスタッフもそう感じているのではないかと思います。

下地編集長:
 私も齋藤総領事とは2002年から北京の大使館で3年ほど一緒でした。当時は日中関係がギクシャクしていたり、いろいろあった時期だったので、領事部と政治部が連携して仕事をすることも多く、領事部長だった総領事と政治部だった私がなかなか人には言えないような仕事をやらせていただく機会も多かったです。そんなことを通して、私のことを見込んでくれたのか、コイツは使いやすい、って思ってもらえたのか、ある日「俺、今度チンタオに行くけど、下ちゃんも来ない?」って声をかけてもらいました。でもその時はまだ日本に戻ったばかりで、そんなに上手くはいかないでしょ、と思ってたら、しばらくして上司から「チンタオがおまえのこと欲しいって言ってるけど、どう?」って言われた。内心「ラッキー!そりゃあチンタオ蹴ったらバチ当たるでしょ!」と思いながら、即答しました。総領事とはお互いによく知っているので、 仕事上は非常に楽ですね。どこに気を遣っているかと言えば、総領事はは中国のプロ、私は朝鮮が専門。ここは彼のホームグランドだから、あまり出すぎたことをしないように、最後の判断は総領事に任せるようにしています。

宇都宮氏:
 
私が気を遣うのは、同じコンペで支店長よりいいスコアを出さないってことかなぁ。

遠山氏:
 それは、気を遣ってるっていうだけじゃないでしょ!私の場合は、恩賀総経理とは長いお付き合いです。そもそも20代で事業会社の総務課のヒラだった頃、同じ事業会社の営業部長だった総経理に営業部の宴会に誘っていただいたのが最初で、その後異動した部署で半年くらい直属の部下として一緒に働きました。その後、タイ駐在を経て本社勤務をしていた時、出来れば外国で働きたいと言っていたら、チンタオ行きが決まり、さらに総経理は恩賀さんと聞いて、嬉々として赴任しましたよ。でもツライのは、私が日本に帰りたくないことをよく知っているので、何か仕事でチョンボをすると、すぐに「おい、東京に帰すぞ!」ってよく脅し文句を言われています。

西本氏:
 
私は皆さんと違って、飛坂総経理とはチンタオ赴任前は全く接点がなかったですね。赴任前打ち合わせとして、東京でお会いしたのが初めてでした。で、私の赴任ひと月後に前任の総経理と交代になられたのが何とその飛坂さんだったんですけど、チンタオ空港に到着された総経理を見てびっくり!打ち合せの時のスーツにネクタイのイメージと大違い。アロハシャツ姿で「よおー!」っていらして...ちょっと唖然でした。オフィスでは日本人は私たち2人だけですから、一緒にいる時間がかなり多い。馴れ合いになりそうなので、そうならないように気をつけています。公私共にバイタリティのある方なので、畑仕事とかヨットとか、週末もフル回転で体力使います。それに常に1対1だから、1つのハンバーガーを半分づつ分け合う仲です(笑)。

遠山氏:
 それはかなり濃いね!うちは人数が多いので、2人だけで食事したことはこの4年半で2、3回くらいかな。差しで飲む機会ってほとんどないですね。

宇都宮氏:
 私もあまり1対1っていうシチュエーションはないかな。夜は接待以外は一緒に飲みにいく機会はすくないですね、でもランチはほとんど一緒ですね。。

下地編集長:
 私たちは二人とも酒大好きだから、飲むと話がかなり進みますよ。

中村氏:
 うちの支店長はゴルフも酒もやらないからなぁ。あ、でも食に対する薀蓄はすごいですよ。それから中国の歴史についての知識はプロ以上。ガイドの説明を遮って、自分で話し始めますね。それにこちらから1つ質問すると、答えが10くらい返ってきます..。

 

退社後のフリータイムの楽しみ方

編集部:日本に比べて退社時間が早くなりましたよね?

遠山氏:
 そうですね。日本にいる時はほとんど毎日終電でした。チンタオでは市内に8時くらいに着いて、食事して9時頃帰宅。日本では考えられない生活ですね。

宇都宮氏:
 日本では終電に走って乗るっていう感じだったよね。遠山さんとは好和でよくお会いしますよね。で、僕たちがもう飲み終わって帰る11時頃に中村さんがお店にやって来るっていうパターンが多いですよね。

中村氏:
 そう、私は日本でもチンタオでもほとんど毎日そんな時間ですね。

西本氏:
 チンタオの早い退社時間は家族持ちにとってはうれしいです。子供をお風呂に入れてやる、っていうのが東京では絶対無かったから、そんな風に子供との時間が作れることはチンタオ生活の良さのひとつですね。

中村氏:
 西本さん、お子さんはおいくつ?

西本氏:
 上の息子が小2、下の娘が2歳です。下が生まれた時はちょうど餃子事件のあった当日で大変だった。だから娘が誕生日を迎えると「ああ、あの事件からもう2年か。」って思ってしまいます。

中村氏:
 
私も子供が小さかった時は、ほとんど毎日顔を合せられなかった。ある日子供から、「父ちゃん、今度はいつ来るの?」って言われた時は、ショックでした。

下地編集長:
 でも、チンタオに来た時は、わぁこんなに早く帰ってどうしよう、ってちょっと途方にくれませんでした?何もすること無くて、仕方がないから夜にジム通いしましたよ。それも人脈が徐々にできるようになって変わりましたけど。

遠山氏:
 そうそう。毎晩、寝るまで3時間くらいあって、最初の頃はテレビ見てもつまんないし、どうしようかなって思ったけど、本を読んだり、日本でできないことを楽しめるようになりました。それから平日の夜に友人と食事できるのは日本なら年1、2回だったけど、ここでは年代も仕事も違う方と色んな交流ができるのが楽しい。

西本氏:
 ほんと。中国の他の大都市だと難しいかもしれないけど、チンタオだからできる。

遠山氏:
 他所はここまで密じゃないらしいですね。日本人がよく利用する店だと、誰かしら知り合いがいて捕まっちゃうことも。昨日も好和で某商社の総経理に遭遇して、お酒を飲みながら色々話をさせていただきましたよ。

宇都宮氏:
 遠山さんと同じく色んな交流ができるのはいいですね。しかも本を読んだり、DVDで日本のドラマを見たりする時間も確保できるのもいいですね。今まであまり時間が無くて読まなかったであろう本も日本に帰ったたびに買って帰って来ています。最近は半身浴が趣味になってて、半身浴しながら本を読んでます。1時間くらい経つと、汗がバァっと出てきて気持ちいいんです。

中村氏:
 半身浴ってすごく身体にいいんですよね。

下地編集長:
 僕は身体にいいと言えば、足アンマだなあ。特にミンジャン路の「良子」の足バーグアン(拔罐)がいい!

遠山氏:
 私のお気に入りはクラウンプラザホテルの裏の「怡康按摩」。でも足アンマするともう家に帰りたくない、そのまま寝かせてもらいたくなる。

中村氏:
 僕も怡康が好き。チンタオに来た当初は8時か9時に仕事が終わって週3回は飲みに行ってた。何で、今こんな生活になったのかなぁ?日曜日はソフトボール同好会に入ってて、下手なんですけど、身体を動かすって楽しいですよね。でもその後会社に行くこともあったり。8月〜10月まではほぼ毎日会社、土日無しの記録的な出勤日数。ある意味、規則正しく不規則なんですよ。

宇都宮氏:
 ええ、サブロク協定とかないの?

遠山氏:
 ないない。ここでは日本の労働法は適用されませんよ(笑)。海外手当はあっても、時間単価にすると大分割安になりますね。

中村氏:
 楽器が好きだから、チンタオに行ったらピアノとか習えたらいいな、って思ってましたけど、現実は違った...。


仕事上のやりがい

中村氏:
 日本だったら、取引先とは業務を通じたお付き合いに限られますよね。でもここは、アフター5ならぬ、アフター11からのお付き合いができるから、付き合いの幅がぐっと広がりました。それに日本なら同業者の人にプライベートで会うなんてあり得ないけど、皆と一緒に飲んだり歌ったりするのがあってすごく楽しい、大切な情報交換の場でもあります。今までにない人間関係ができる、日本にない活力もある、そういう場面で仕事ができる、ということにとてもやりがいを感じます。ただ感じながらも時間が限られているので、「これをやったぞ!」っていう実績を残していきたいと思っています。

西本氏:
 私は食品関係を担当していて思うことは、日本にはモノが溢れてる、でも中国はまだまだこれから。新たな食の可能性を探すのが非常に面白いです。こちらに来て、食品全部を見ることで仕事の幅も広がりました。新しいものを中国に広めるというのはやりがいがあります。例えば、ジャスコ煙台店がオープンした時、自社の商品を卸すために泊って準備をしたんですが、翌朝お客さんがドドッと入って来た時の光景が忘れられないですね。

宇都宮氏:
 同業者として中村さんがお話されたことは同感です。さらにここは立ち上げでしたから、今いるスタッフの採用面接を私が行いました。採用者の4割近くが銀行経験がなかったんですけど、3年経って何だか銀行員らしくなってきた姿を見るのが楽しいですね。できればずっと見ていたい。

遠山氏:
 やりがいは日本で仕事をしているより多いです。それは日本だと30代の後半くらいは仮に管理職になっていたとしても全体の一部であり、自分が何をやっているのか見えにくいことがある。だけどここは規模が小さいから自分のやっていることがよく見える。あと宇都宮さんに似ていますけど、今一緒に働いている若い人たちに何か良い影響を与えられらたいいいなあ、そして10年後に偉くなっていて欲しいなあと思います。1人の人の仕事のキャリアにじっくりかかわれるってなかなか無いことですよね。

下地編集長:
 確かに。僕も東京だと歯車の1つ。基本的に自分の担当業務があって、それ以外はやらない、できない、っていう世界だったけど、ここではやらなきゃいけないことは全て自分でやりますからね。うちも組織を立ち上げたばっかりなので、これまでの「組織ってこういうものだから。」っていう出来上がったものの中で働くだけではなく、新たに組織をつくっていく楽しさや組織づくりに自分の思想も入れ込んでいけることにやりがいを感じます。

編集部:10年後にまたチンタオに帰って来たいですか?

遠山氏:
 10年か、またここにいれたらいいなあ。そうならなくても10年後も付き合いが出来る仲間が出来るといいですね。例えば元JAL青島支店長の藤江さんが本帰国された時のように、他社に移った以前のスタッフが見送りに来てくれる、ああいう風になれたらいいですね。

宇都宮氏:
 私はどんな立場でもいいから、帰ってきてスタッフたちの成長を見てみたい。チンタオの人はいい人が多いですよね。この街の住みやすさはチンタオの人たちの良さにあるのかなと思います。

中村氏:
 僕は10年後は退職かも...。それこそ理想は嘱託の立場で帰って来たいなあ。

編集部:
 まさに魅力の街、チンタオですね。皆さん、今日はどうもありがとうございました。

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日本人会成立20周年特別企画コーナー

〜「青島会(OB会)」大阪で盛大に開かれる〜

  


 去る11月7日の日曜日、午後12時より大阪天満橋にあるキャッスルホテル3Fの中華料理店「錦城閣」にて「青島会」が盛大に開催された。この「青島会」は戦前の青島で生活した小学校、中学校の卒業生で作る幾つかの会を一緒にして合同で開催するもので最高齢は96歳若くても75歳。平均年齢82歳という元気な老男女130名が全国から集まった。会場はお年よりで場内満員。開始の1時間以上も前から各人近況や体調をにぎやかに話し盛り上がった中で開会。
 最初に亡くなった方々に黙祷し 開会挨拶では、今年、ノーベル賞を受賞した北大の鈴木博士の奥様が青島高女の卒業生と紹介され満場の拍手を受けた。来賓として大谷名誉会長が前日の日本人学校で6年生が敗戦で青島を去る劇を紹介、東大の山本氏が戦前の日本人学校の由来を、幹事である森下氏が青島近況報告などを話して乾杯。約2時間にわたって歓談し、来年もまた同時期に再会を約して終わった。

 それにしても皆さんお元気で矍鑠とされ、食事も酒もすすみ、各テーブルを巡って昔なじみと話していかれるご老体パワーにはただビックリであった。

 

「日本人会20周年を迎えて想うこと」

寄稿:青島日本人会名誉会長 大谷 吉治

 今年、青島日本人会は成立20周年の節目の年を迎えました。
1990年に成立された本会は、現在に至っても中国の政府サイドからは法的な制約もあり、公的なステータスを得るに至っていません。しかしながら、駐在する日系企業関係者と家族、長期滞在者、加えて最近増加傾向にある留学生等々、邦人の皆様が当地における企業活動を順調に進められ、安全安心に在留生活ができること、日本と中国の友好親善を目指し、社会的活動を行い今日に至っております。

 私達の住む青島がより良く、より住みやすい街になる為に2004年4月日本人学校、同年9月JETRO、そして2009年1月駐青島日本国総領事館が設立され、その設立と誘致は青島日本人会を中心とする在住日本人社会の皆様の協力、支援を得て実現することができました。その存在効果は現在において大いに発揮されております。

 一方、昨今の厳しい経済情勢、加えて日中関係の敏感な現状からして、当地への企業進出が減退傾向であることは気がかりなことであります。

 私達はこの様な現状の中において、親日的で居住環境の整った青島という街が日本国内でより広く知られ、情勢が変化すれば企業の進出や人々の交流が盛んになるであろうことを期待し、文化、歴史、観光、教育、スポーツ等々の活動を活発に進めております。

 20周年を迎えた今年は特に1945年終戦以前に青島で生まれ、育った方々(当時在住邦人人口5万人ともいわれている)に積極的にアプローチし、交流の機会を持つことのできた一年でした。当時の素晴しかった青島生活を語り聞かせていただき、様々な貴重な資料を日本人学校内の資料室にて展示し後世に伝承していく、又、日本人による建築物等の保存運動と歴史保存活動を推進しております。

 私事になりますが、当地で17年有余の間駐在させていただいた私も、まもなく満72才となります。先般8月、日中友好に寄与し社会貢献に尽力したとの事で栄えある外務大臣表彰を賜ったことはこの上ない名誉であり、2008年北京オリンピック大会聖火ランナーと併せて生涯の宝物であり、中国に駐在した証しでもあります。東洋思想では年を取るほど、立派になっていくことが理想とされています。果物が完熟してこそ本当のうま味が出るように、人間もまた年を重ねるたびに人間が成熟し、練れていく。そういう生き方を目指していきたいと思うのです。

 青島日本人会もまた新たな20年の始まりです。会員同士が助け合い、より良い企業活動と青島生活が築いていけることを心より願っております。2030年の青島はどうなっているのか、ぜひ見てみたいものです。

 最後に、皆様には希望に満ちた、素晴らしい、2011年の新しい年をお迎えできることを心より祈念いたします

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〜広げよう!楽しもう!チンタオ友の輪!〜


17人目: 松尾大成さん( 青島黄瀧種子有限公司 )

        


 山口銀行の渡邊さんよりパスをいただきました青島黄瀧種子有限公司の松尾大成と申します。日頃皆様には家族共々お世話になっており、この場をお借りしまして御礼申し上げます。ついでに少し会社の宣伝をさせていただきますと、冬になると青島の街中の花壇でよく見かける葉牡丹、これ全部幣社の品種なんです。

 10年前に結婚太り解消で始めたジョギングでは毎朝5〜10kmのトレーニングでフルマラソン3時間切り、3年半前の青島赴任後に始めたテニスはボレー、ストローク、サーブすべてでの上達、そしてちびっ子サッカー(QJJSC)のお手伝いがエスカレートしたOSC(おやじサッカークラブ)では早く試合で1得点、最近購入したママチャリでトレーニングしてトライアスロン出場、ゴルフでは90切り、、、といろいろと夢を思い描きながら、理想と現実の狭間で格闘し、下手の横好きが重なっております。毎週日曜日はジョギング、テニス、サッカーのお手伝いと一日異種トライアスロン状態ですが、これからも運動オタクは止められそうにありません。

 それでは、いつもテニス同好会でご指導をいただいている青島新東機械有限公司の稲垣聡さんにチャンスボールを上げます。稲垣さん、ビシッとスマッシュをお願いします。

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〜同好会 Q&A〜

同好会無くして青島ライフは語れない?!
公認サークルはじめ、各同好会の様子をお伝えします


Vol.6 ゴルフ同好会 

  

 去る10月31日(日)、本年度最後の第90回記念同好会コンペが華山GCにて開催されました。また当日夜には年度最後の大会に恒例の大納会をクラウンプラザホテルで盛大に開催し、同好会の一年を一足早く締めくくることができました。90回大会は88回大会優勝者の横山様が素晴らしいスコアで優勝されました。したがって本年度86回から89回大会までは毎回優勝者が替わるという混沌としたグラチャンレースでありましたが、2度目の優勝を飾られた横山様がこのレースを制されました。冠大会は開催できませんでしたが、今回はJUSCO様よりたくさんの賞品のご協賛をいただき誠にありがとうございました。また今年度を通じてたくさんの企業様にご協賛をいただいております。この場をお借りして御礼申し上げます。同好会活動はしばらく充電期間に入りますが、同好会ゴルファーは寒さにめげず、氷上ショットでスコアアップを狙っていかれることと思います。来春の活動再開時には新入会者、遼君に、藍ちゃんになりたい方等どなたでも大歓迎ですので、お気軽に事務局までご連絡ください。

 会長:江口規和(13953253307) 
 事務局長:宇都宮健彦(15898873993)
 副事務局長:小林努(13884956684)
       広門泰彦(13969671280)
       川田正博(85766222)

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〜住めば都よ、一度はおいで!〜

住めば都と言うものの、かくも悲しき宮仕え。
社命に従い東奔西走、明日は何処に行くのやら。
語学研修有名無実、行ってこいやの片道切符。
家族帯同最初のうちだけ、今は寂しき単身赴任。
 とは言え人の住むところ、人煙あれば文化あり。
人煙なくても自然あり、それはそれでと面白い。
毒を喰らわば皿までと、折角の海外赴任楽しんでおいきなせぇ!

 第3回 「ポーランドで日本料理伝授」

寄稿:ぼたん亭 瀧本 隆

      

 私がポーランドに行ったのは2000年7月。EU加盟の3年ほど前でした。
フランス、ドイツなど西側の波が少しずつ寄せており、首都ワルシャワには300人前後の日本人が駐在し、5軒ほどの日本料理店があり、寿司もちょうどブームになりつつありました。50歳にして始めて長期の海外生活で、右も左ももちろんポーランド(語)もわからず大変でしたが、見るもの聞くものすべてが新鮮であっという間の期間でした。

 ポーランドという国は素晴らしくきれいで、人の心も日本人のように礼儀正しく、男女問わず美しい本当にすごしやすい国でした。ちなみに小学校のときに習った♪森へ行きましょ娘さん〜♪という歌はポーランド民謡だそうです。

 私が指導した料理店はワルシャワの駅前にあり、周りには、マリオット、リンカーンコンチネンタル等々外資系のホテルが立ち並び、ホテル内には公営のカジノがあって、これが本物のヨーロッパの雰囲気だなとの感じを受けつつ時々、時間を潰したものです。

 店には10人前後のポーランド人調理人、20人前後のウェイトレス(これが本当に可愛いい!!)それに中国人も5人ほどいました。ポーランド人の仕事に対する態度、貪欲に知識を吸収しようとする姿勢には感心させられました。当時の彼らの給料は日本円で約5〜6万円ほどでしたが、その中で私が使っている刺身、出刃包丁を日本から買ってきてほしいと頼まれました。彼らの給与からして負担が大きすぎると思い、店と交渉して半額負担ということにしたのですが、彼らの仕事に対する心意気、責任感に感心したものです。刺身といえば毎週日曜日にサーモンを25匹、2〜3ヶ月に1度スペインからの90Kg前後のマグロをさばいていました。

 店のキャパは200人程で大きい方でした。私は良く知らなかったのですが、有名人も沢山来てスタッフが教えてくれたのではサッカー選手、ロックシンガー、サーモンの刺身寿司が好きなよくTVに出てくる女優など頻繁に来店しますが日本のように色紙を持ってサインしてくれというようなことはありません。(スティーブン・セガールも来店しました。大阪弁で「寿司うまいでっか?」と聞かれたときには面食らいました。)当時の大統領が寿司が好きで3ヶ月に1度の割りで来店するのですが、そのときパトカー4、5台、S.Pを10人前後従えて入ってきても周囲の客は無関心です。日本ではちょっと考えられない光景です。
 
 日本からも有名人が来ました。全日本バレーボールティームです。私も店のオーナーも長い間バレーボールをやっていましたからひと際関心もちました。ポーランド遠征の初日は朝5時から弁当を作り空港まで届けました。来店の折には、普段小柄な日本人を見慣れているポーランド人にとって2M前後の大男が20数名ぞろぞろと入ってくるので、このときばかりは写真だサインだと大賑わい。即席の日本ポーランド交流会となりました。当時の監督は田中幹保でしたか。選手の1人朝比奈健太が帰国後、外国での日本食に感動したと「バレーボールマガジン」に寄稿してくれました。

 話は変わりますが、ポーランドには、わずかにクダニスクという都市が海に面していますが、海も山もありません。国土面積は日本の8割ほどですが平地の広さは桁違いです。また、冬が長く、3時過ぎから暗くなり真冬の気温は-18度前後にまでなり、歩道は凍結すると1週間くらい溶けません。ですから、夏になると日本では海岸ですがマンションのベランダや動物園などの緑の多いところで日光浴をやります。初めて動物園に行ったときなどは周囲の芝生にほとんど裸に近い水着姿の老若男女が貪欲に日光を吸収している姿に圧倒されました。圧巻です。特に若い女性の色が白く金髪、銀髪、栗色、ブルーの瞳。バツグンのスタイル。。。。。目のやり場に困りました。人の話によれば、東欧の女性が世界で一番美しいということですが、これには私も同感で、街並、人の心、女性と素晴らしいの一語につきます。

1 0年前を思い出しながら書いていますが次から次へとさまざまな思い出が思い出されあれもこれもと一度になかなか書きおおせません。機会あればぜひもう一度といわず二度、三度と訪れたいと思わせる国です。

 久しぶりに字を書きますので目が疲れ、指がつぶれ頭も痛くなってきたのでそろそろここらで終わりにしたいと思います。
 

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青島・老房子と日本人

 1915年から1945年の30年間、2度に亘って日本の統治下に置かれた青島では、4万とも5万ともいわれる日本人が住んでいた。かつて街のいたるところでは「中野町」「 伊勢町 」といった日本名の道路名が名づけられ、着物を着た日本人が往来を歩いていた。今でも約70年前と変わらず、街のあちらこちらには日本人がかつて住んでいたり、勤めていた、縁ある建物が残っているのをご存知だろうか。かつて青島で子供時代を過ごし、現在青島にお住まいの足立吉弘さんが、そんな“老房子”をご紹介します  

〜人物編:植林にいのちを燃やした日本人〜

   

 青島郊外の港東という村の小さな丘に木を植え続けた一人の日本人がいました。
名前を西川文夫さんといいます。西川氏は1945年、青島滄口日本小学校5年生のとき、旧満州に疎開。そこで敗戦を迎え、苦難の引き揚げを体験しました。
再び青島を訪れたのは1986年の春。当時唯一の青島航路・ユートピア丸に乗り、兄俊夫氏とともに青島の土を踏みました。そのとき、西川氏の胸に去来したものは何だったのでしょうか。何かに突き動かされたように大阪市職員を早期退職するや、退職金を投げ打って青島での植林活動を決意したのでした。
青島市政府と交渉の結果、港東村の野鶏山を斡旋され、1992年から植林を開始します。
苗木は日本からユートピア丸で運び込み、毎年春から秋にかけて、港東村役場の3階に泊り込んで、一本一本、木を植え続けました。兄俊夫氏も、必要な機材を日本から送ってサポートしました。その後、青島の同窓会細田静雄氏、伊藤千枝子氏、西日本汽船の中山氏などの協力者も現れ、大阪市の職員や、大阪の日中友好協会などから寄付金が集まるようになりました。
中国側からは港東村の人々の手助け、青島税関の方からは苗木の輸送に便宜を図ってくれるなどの援助も増えてきました。
5年間こつこつと植え続けた苗木の総数は5000本を超え、野鶏山は緑に染まりました。
植林は順調に進むかに見えましたが、西川氏の体は病に蝕まれていきました。
1997年、西川文夫氏は病に倒れます。病名は膵臓癌。異郷の地での無理がたたったのでしょうか。その年の6月、氏は志半ば、無念のうちにこの世を去りました。享年62歳。
8月、兄俊夫氏は遺灰を持って港東村を訪れます。港東村政府は、盛大なイベントをもって迎え、故西川文夫氏に「港東村名誉村民」の称号を贈り、その功績を称えました。また、野鶏山に墓碑が建てられ、兄俊夫氏は弟の遺灰を葬りました。

 人生の終末、青島での植林活動に情熱を燃やした男。知られざる偉人、故西川文夫氏は、緑に包まれた野鶏山の中腹に、今、静かに眠っています。

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会長はシェフ!

 〜スモールキッチンでも作れる簡単レシピ〜

 サービスアパートメントの少ないコンロや電磁調理器などを利用して、手軽においしく作ることのできるレシピをご紹介したいと思います。一人でも、不便でも、面倒がらずに自炊にトライ!

12月特別レシピ

クリスマス・年末の忙しいときにはこんなに簡単な「餃子鍋&つけ麺」はいかが?暖かいお部屋で、家族・友達・恋人と食べれば身も心も温まりお財布にも優しい。

  

  


  材料4人前
 ・冷凍餃子(豚肉と白菜がお勧め)800g程度を1パック
 ・白菜かキャベツ(両方でもどちらかでもOK):半玉ずつ
 ・長ネギ:3本
 ・シイタケ:1パック
 ・豆腐:1丁
 ・カツオ風味だし
 ・たれ(ポン酢か醤油にラー油)
 ・仕上げのラーメン(出来れば生麺)2〜4玉



 作り方
 @ 土鍋に水2カップ入れて煮立て、カツオ風味だしを加え、冷凍餃子6個を割って入れ  ます。

 A 茹であがったら、残りの冷凍餃子をそのまま、白菜、キャベツ、キノコ、長ネギ、  豆腐を入れて火が通ったものから、たれにつけて召し上がれ。餃子に火が通るには  少し時間がかかりますので最後にね。

 B 食べきったら、ラーメンをいれて軽く茹で、タレにつけて「つけ麺」を楽しみまし  ょう。

調理のポイント
 餃子とカツオだしの組み合わせが新しい、簡単なお鍋です。餃子を少し割っていれると豚肉の風味が加わります。ガツンと食べたい方は、シャブシャブ用の豚肉を入れたり、ラーメンを茹でるときに生卵を落とすとボリューム満点になります。

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だーぐぅ爺のひとりごと

 〜当地での「不祝儀」見聞記(その二)〜

  

 葬儀の後、化粧箱のようなお骨入れは火葬場にある大きなロッカー式の棚に置かれる。市内に住んでいる遺族は毎週のようにお参りしながら、墓の相談になる。
いまや墓苑も凄まじい勢いで整備され販売されており、日本人学校近くの山にある墓苑は1等地で、約1平方メートルの墓地が最高のところで10万元、下でも3万元ということだ。葬儀から半年たった日曜日であったが、朝早くに火葬場の納骨堂に集まり、赤い布にくるまれたお骨入れを出し、空き地で親族が集まって黙祷しお供えの花や好物、カミや偽の紙幣を燃やす。そして車に分乗して墓苑に向かった。山というか丘の傾斜を利用して芝生を敷き幾つかのブロックの囲いごとに沢山の樹を植えて、さすがに分譲墓地はきれいであった。中腹からの青島の町並みが、故人の憩い、安らぎを得る空間に設計されている。表示にしたがって上ってゆくと高さ30センチから50センチくらいの墓石に平安とか永遠とか字の横に夫婦のそれぞれの名前が彫ってあり、片方が生存者の場合は赤字で表示されている。意外に十字架が記されていてキリスト者が多く居ることを知った。数人の現場工事者が待っており、1平方メートルの区画を深く1メートルくらい掘って周りにその土が積み上げられている。いよいよ納骨となるとそこに花や好物を置き、ここは火気厳禁で、お骨の箱を前に長老の発声で全員黙祷。そして深さが50センチ位のセメントで作ったケースがあり、これにお骨入れと故人の遺品、飾りなどを入れてゆく。頃合で作業員が蓋に糊をつけ密閉するとロープを渡し穴に入れて行くが、この間静寂な墓苑にあって、ずっと絶叫が続き自分も一緒に入ろうかというまでに覗き込む女性とそれを落ちないように引っ張る旦那衆でしばし凄まじい場面が展開した。
 終わってレストランに赴き食事となるがここでも主賓の挨拶はない。主賓は酒を絶っており、客人が静かに飲むだけ。偲ぶ会らしく故人の話になると思いきや、今そういうことを言う時ではなく、思うだけで涙が出て何も言えないというのが主人のお話であって、そういう質問をするのは野暮であった。ここに民族の違いで、日本人の方がドライなのかと思った。さらに地方の風習があり、未婚の女性は参加できないとか、遺族は百日間散髪しないとかあるようだ。素朴な中に本当に故人を偲ぶ姿が哀れでおよそ日本の葬儀とは違う感じがした。
 しかし、これからの時代、一人っ子の中で高齢者社会にある中国にとって、墓苑も大変な投機の対象になるだろうし、勤務の関係でお参りもそう頻繁にはできなくなるだろう。日本の葬儀屋の培ったノウハウが此方でも生かされてくるかもしれない。 

「だーぐぅ爺のひとりごと」は今回で掲載終了です。
ご愛読ありがとうございました。

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浮山情的書評 -(その7)-

 〜魔都上海〜

 劉建輝  ちくま学芸文庫(2010年)

 世界博が終わった。「より良い都市、より良い生活」をテーマに7308万人という入場者で、1日の最高入場者は103万人であったという。この数字だけで疲れる。行け(か)なかった。本書は上海の成り立ちから、日本との関わりを重点に記述した中国人学者による都市物語である。
 
 上海は古称を滬瀆という。河口に竹で作られた漁具を並べて魚を捕ることをいい、もともとは正真正銘の漁村で、宋の時代に始めて行政機関が置かれ1292年に上海県に昇格したときの世帯数は7万2千世帯余りであったという。

 明の時代、倭寇の襲撃を防ぐために城壁を巡らし、清の時代1685年に内外貿易を管理する江海関が設置されたことによって、広洲、厦門、寧波と並ぶ海港となり飛躍的に発展する。長崎に来航する沙船(南京船)として日本との繋がりもできた。

 上海のもう一つの顔である租界は1845年城壁の北郊にイギリス続いてアメリカ、フランスが「華洋分居」の隔離政策として「工部局」を創設し自治にあたった。が相次ぐ反乱で県城からの難民が増え結果的に「華洋雑居」となり「江南」という広大な伝統的文化と西洋列強の植民地の双方の文化の侵犯、浸透によるモザイクのような混沌が一種の暗黒面を持つ都市「魔性」都市を出現させた。ちなみに中国語で外灘という黄浦江沿いのバンド(bund)はもともとヒンドゥー語で築堤を意味する。

 開港以来10年でジャカルタに次ぐ東南アジア第二の貿易港となりハブとしての機能を有し、日本も開国以来定期航路ができ、幕末の志士やペリーも上海経由で欧米と往来している。宣教師らによる西洋の出版物の翻訳本が日本におびただしい数輸入され、日本から出たサムライはまずここで西洋の玄関に会い、港に浮かぶ軍艦や銀行ホテルなどの建物に度肝を抜かれ、攘夷思想に別れを告げた。

 明治後の日本が近代国家の統制が厳しくなるにつれ、今度は「ロマン」を託す場所として楽園を求め多くの人を呼び込んだ。バンドの景観は「偽りの玄関」で、実質は混沌たる現実こそ真の上海の中身。茶館、妓館、煙館の娯楽施設で1930年代には10万人もの娼妓がいたという。しかし、これも日本軍の侵攻と、占領後の戸籍管理と戦後の共産政権になっての「改造」により魔都は消滅した。その後の上海に「魔性」の復活はあるのだろうか。本書の記述が男性主体で女性が出てこない。時代の風潮はそういうことであったのだろう。

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「やっぱりこれが好き!」

 〜焼き芋編〜

    


                                 By 黄島小僧

 東京は日本橋、茅場町の奥まった路地の一角に天ぷらの名店「みかわ」があります。実は小生の実家の近くでして、ガキの頃から極く偶に連れて行ってもらってました。カウンターで8席、小さな座敷が一つの小さな店ですが、目の前で揚げてもらう海老やメゴチの美味しい事。中でも圧巻なのが穴子!黄金色に揚がった穴子を店主が目の前で菜箸で2つに切ってくれた瞬間のザクッとした音と立ち上がる湯気。これを食べた友人の一人が「穴子になりたい」と訳のわからん事を呟いた位です。と穴子の話はまた別の機会にして、本題はここからです。社会人になってからこの店で壁にかかっているお品書きを眺めていた小生の目の片隅に飛び込んできたのは○に十の文字。はてはてこれな何じゃろうか?と訝る小生に店主がにやりと笑いながら読み方を教えてくれました。そう、○に十は島津の家紋、島津と言えば薩摩藩ということで、サツマイモの事を業界では丸十と呼ぶと初めて知りました。そんなこんなで前振りが異常に長くなりましたが今回の「やっぱりこれが好き!」はサツマイモを使った焼き芋です。

 寒風吹きすさぶ真冬の青島。正直勘弁して欲しい季節ですね。そんな寒い中でも密かに小生が楽しみにしているものがあります。それは焼き芋。中国では衛生面を考慮し、屋台や露店での買い食いを控えている小生ですが、この季節だけは禁を破ります。お世辞にも綺麗とは言えない、いやどちらかと言えば手がアカギレで汚いようなオジサンオバサンがリヤカーにドラム缶を積んで売り歩く姿は将に冬の風物詩なんでしょうね。寒い路肩で、芋を選んでいる間のわくわくするような気分。買った芋を上着のポケットにいれるとポカポカと暖かく、子供の頃、前掛けを掛けたオジサンがリヤカーで売り歩きにきた光景を思い出します。あの「石焼ぃー芋」って言う独特の売り声、何故か東北訛りで、堪らなく郷愁を誘うと感じるのは小生だけでしょうか。最近日本では石焼芋って結構高くて庶民の味って感じがしませんが、ここ中国では完全に庶民の味方。芋1個で2元とか3元の世界です。買う際は天秤バカリで測ってくれるのですが、その見方が良くわからないのはご愛嬌。芋の中身は黄色というかオレンジ色をしている事も多いので日本の物とは違うのかもしれません。(まあ日本で紫の芋を見た中国人もビックリするかと思いますが)さらに、時々ベチャベチャと水っぽい芋に当たってしまう事もあります。オジサンやオバサンは大体決まった時間に決まった場所にいるので、仲良くなって美味しい芋を選んでもらうのが一番。

 寒い風の中、暖かい芋で手を温めながら立ち昇る湯気の中に子供の頃見た焼き芋売りの姿を思い浮かべるのも乙なものです。
「九里(栗)より(四里)美味い十三里半」という焼き芋のキャッチフレーズ。御存知の方はすっかり少なくしまったようです。

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「チンタオ写真館」

〜チンタオ写真館では写真同好会の皆さんの作品をご紹介します〜

 テーマ「スポーツ」

           1位                        2位

                 

      

 

 

 

テーマ「初冬」

              1位                              2位

  

    

 

 

テーマ「飲み物」

                       1位                              2位

     

            

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「げっちんアンケート!」

 げっちんアンケートでは、チンタオにお住まいの読者の皆様を対象とし、「どんな人が、どんな風にチンタオで暮らしているの??」の素朴なギモンのもと、毎月アンケートを実施。アンケート結果は翌月号にて掲載します。チンタオ古株の方もチンタオ新参者の方もぜひ添付のアンケートにお答えください。

 11月のげっちんアンケートでは、皆さんの「あなたの知りたい情報は何??」ついてお聞きしました。アンケートにお答えいただいた方、どうもありがとうございました!今回の回答を見ると、最も知りたいチンタオの生活情報は日本料理屋などおいしい外食店、一番知りたい「チンタオ買い物情報」は日本食材でした。やはり日々の食事は一番大事なポイントですね〜。チンタオでの外食。日本料理屋は皆さんの個人投票にお任せしますが、和食以外のオススメ外食といったら、やっぱり海鮮料理と韓国料理でしょう。レストランで水槽を前に、好きなシーフードと料理方法を選べるのは日本ではなかなか味えない楽しみですね。在留韓国人が5万とも10万とも言われているチンタオでの韓国料理はどこのエリアでも激戦区!日本人がよく行く焼肉料理屋ベスト3は「本家」「東古来」「亨伯」でしょうか?!(他におすすめ店あれば編集部まで投稿を!)日本食材を買うならジャスコ、カルフール、マイカル、メトロ、新快が便利。あ、新快は銀都花園にもお店が出来て、銀都に住む皆さん、便利になりましたね〜。

Q1:『生活情報について』

Q2:『買い物情報について』

 

今月は「あなたのお正月について教えてください!」です

下記のアドレスをクリックして頂きアンケートにお答え下さい。

http://www.efeel.to/survey/gekkanqingdao/

ユーザー名:user   パスワード:qingdao  です。

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イベントカレンダー

【日】日本人会 【領】総領事館 【学】日本人学校 【貿】ジェトロ

12月

 7日(火):音読朝会
 9日(木):授業参観・懇談会
16日(木):【領】天皇誕生日レセプション
17日(金):【】ANA職業講話
21日(火):】大掃除
26日(日):【】間 寛平氏 来青(〜1月1日)

 

2011年 1月

22日(土):【日】日本人会新年会

 

〜あなたの声をお聞かせください〜

『声』 〜あなたの声をお聞かせください!〜 チンタオライフ、満喫していますか?こんな事があったらいいなあ、こんなことはできないだろうか?などなど、 あなたの日頃の想いとグッドアイデアをお聞かせください! 記名、匿名問いません。あなたの貴重な声をお待ちしています! 声はこちら→gekkanqingdao@yahoo.co.jp

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