月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

浮山情的書評 -(その17)-
 
有吉佐和子の中国レポート
 

有吉佐和子・著   新潮社(1979年)

 

 著者は、「複合汚染」や「恍惚の人」などの流行り言葉を生み出し、1984年まだ53歳という若さで亡くなった。中国には文化大革命前の北京に半年滞在した経験をもち、文芸家との交友関係も広い。その彼女が いわゆる「四人組」がパージされた後の78年、週刊新潮に連載した記事に加筆した読み物となれば、きな臭い政治の、また表には出ないスキャンダルもありかと期待して読み始めたのだが、その方面の興味は見事に裏切られた。

 著者は「複合汚染」で日本の農政が化学肥料で農地を荒廃させたという認識から、農業の近代化をスローガンとしている中国の農村に入って、「人民公社に泊りこんで、農村の人たちと一緒に暮」らし、農村の実体を知りたいというのであった。パイプ役の対外友好協会も、彼女の農村入りには色々理由をつけて近づけぬようにし、ようやく訪問が出来ても、そこはモデル地区であったり、泊まるところは招待所で1人だけ豪華な食事というお客さん扱いで会ったのが、徐々に有吉の話に興味を抱き、ついに講演会を開くようになる。

 近代化とは機械化、化学肥料、農薬によって生産性を上げることだが実情は自給率が下がり、益虫を殺し、耐性のある害虫を生み、挙句に従事する農民、食す人に病中毒を起す。心ある、骨ある農民は上からの指示に疑問を持ち、独自の方法で行っていただけに、彼女の話に共鳴し真剣に聞く姿が描かれる。

 また、かつて交流のあった文芸人が次々と名誉回復され、復活し、旧交を温めながら消息を尋ねる。自殺した老舎の挿話は酷いと言うほかないが、「いや、私は早くから革命に参加し、闘争の中で成長した人間ですから、この十年は何でもありませんでした。人民共和国成立前の長い長い闘いや、朝鮮戦争に較べれば、楽なものでしたよ。弾丸が飛んで来なかったのですからね。」という作家協会会長の劉白羽氏の言葉は、非常に印象に残った。日本人にとっては文革の大変さに同情を寄せるが、中国人にとってそれはウチウチのことであり、日中戦争から続く動乱と一緒にされてはたまらぬということであろうか。

 有吉の顔の広さもあるが、指揮者の小澤征爾やダークダックス。郭沫若氏の死のスクープ合戦や寥承志との会談など興味深い。とりわけ、最初は唐少年と出てくるが、友好協会では「プリンス」と呼ばれており、わがままな客をアレンジし、時には講演の通訳までした唐家璇氏(現在国務委員)の仕事ぶりには高い評価をしている。人物眼はさすがというべきか。

 いまも農薬使用は時に社会問題としてセンセーショナルに扱われ、安全、健康面と市場への安定供給とは相容れない関係にもみえる。「食べられなかった時代」から脱した13億人の胃袋を質量ともに賄うには有機農法では難しいだろうが、すっかりかぶれたのは事実である。

 
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