月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

山東省の古代史
 
第27話 春秋戦国時代の大悪党 陽虎(ようこ)
 
 日本の戦国時代、梟雄(きょうゆう)と呼ばれる大名で必ず名前の挙がる人物の一人が、松永久秀(まつながひさひで)である。彼は織田信長(おだのぶなが)の軍門に降り、一時期 大和の国一国を安堵された。織田信長は松永久秀を配下に加えた際、「この老人は主家の三好家を脅かし、時の将軍たる足利義輝(あしかがよしてる)を暗殺したばかりか、東大寺の大仏殿をも焼き払った。常人では一つとして成せないような悪事を、こやつは三つもやらかした男よ。」と評している。時を経て松永久秀は織田信長を二度裏切り、一度は名茶器の茶入(九十九髪茄子)を差し出し許されたものの、二度目は観念し、信長が欲するもう一つの秘蔵茶器(平蜘蛛茶釜)を叩き割り、己の身に火薬をしかけ、城中にて爆死したとも言われている。武将としてだけではなく築城術に優れ、また茶道においても造詣が深い知的な一面を見せる彼は、自らの人生に壮絶な幕引きを行い、悪役には悪役なりの「男の意地」を貫き、最後までその強烈な生き様を後世に残した。

 その松永久秀が世に出る前の遥かなる太古の昔、中国にも「三国志」の曹操(そうそう)を始め、奸雄と畏れられた人物は数多くいる。そのなかに、中国の春秋戦国時代きっての大悪党と呼ばれた男が、山東省の曲阜を都とする「魯」国にいた。名を陽虎という。彼は大仏こそ燃やさなかったが、主家を凌駕し、さらにその上に君臨する「魯」国王家の乗っ取りを企(たくら)む、下克上を絵に描いたような修羅(しゅら)の道を突き進んだ。「魯」国は、国王 桓公の血筋である三桓(孟孫、叔孫、季孫)と称された王族が政治の実権を握り、そのなかの季孫氏の大番頭であった陽虎は、主家に反旗を翻したばかりか、「魯」国の国政を左右するまでに台頭していったのである。

 ここで三桓の祖 桓公と言えば、「魯」国ではなく同じ山東省内の強国、現在の淄博市に都があった「斉」国において、中国全土に覇者として名を轟(とどろ)かせた名君、桓公(山東省古代史シリーズ第9話ご参照)を想像されるかもしれない。当時の諸侯には同じ名前が多く、非常に紛らわしい。そもそもこれらの名前は、本名ではなく死後に贈られた名前、諡号(しごう)である。しかもどこの国の諸侯も、諡号はかつての統一王朝であった「周」王室の王の名前から選ばれるのが慣例であって、生前の業績に基づいて決められることから、必然的に国ごと、同じ名前が数多く命名されることになる。

 紀元前502年、陽虎は乱を起こし、当時の「魯」国で勢力を誇った三桓の当主を全て殺したうえで、自分の意のままに操れる王へ交代させようと画策、一時期ほぼ権力を手中に収めかけた。しかしながら最終的に三桓の反撃を受け、形勢は逆転し奮戦むなしく破れ、隣国の「斉」国へ逃れる。主家をないがしろにし、裏切り者とのレッテルを貼られた陽虎は、「斉」国での仕官を望むも叶わず、今度は中原の大国である現在の山西省へ拠点を置く「晋」国へ流れ、同国の重臣 趙鞅(ちょうおう)に仕えた。趙鞅は家臣全員の反対を押し切って陽虎を召し抱え、あろうことか彼を家宰とする。「賢明な君主には忠義を尽くし仕えるが、不出来な君主であれば隙を窺い、寝首を掻(か)くことも辞さない。」というのが陽虎のポリシーながら、趙鞅には誠意をもって仕えた。「裏切り者は、必ずまた裏切る。」という鉄則は、歴史上不変の真理かもしれないが、陽虎は逆賊の汚名を浴びたなかで趙鞅に拾ってもらった大恩を感じ、忠誠を誓い自らの後半生を新しい主君に捧げた。

 前漢時代に編集された思想書「淮南子」(えなんじ)のなかで、陽虎の別の一面にスポットを当てたエピソードが掲載されている。陽虎は「魯」国の掌握に失敗し、乱戦のさなか城から逃げ出そうとしたが、捕らわれるものとあきらめ、自刃(じじん)して果てざるを得ないと覚悟する。ただその万事休すの局面において、馴染みの門衛の一人が混乱に乗じ、密かに陽虎を城内から脱出させてくれた。それにも拘らずその別れ際(ぎわ)、陽虎は矛(ほこ)でその門衛を突き、重症を負わせ逃げていったのである。その門衛は「恩知らずな人よ・・・。」と嘆き怨み、憤慨する。後日、「魯」国王による陽虎を逃がした責任を問う詮索が始まり、他の門衛達が罰せられるなか、その負傷した門衛だけは、体を張って陽虎を止めるべく職務に忠実であったと高い評価を受け、恩賞まで授けられたとさ・・・というお話。

 恩知らずのように見せかけ、瞬時に機転を利かせ、実は恩返しをしたのである。陽虎なりの深慮遠謀(しんりょえんぼう)であった。己の野心を剥き出しにし、国を掠(かす)め取ろうとした陽虎ながら、このように好意的なエピソードも伝えられており、ダークヒーローにはダークヒーローなりに、「男の義」を重んじる姿勢が好感を持たれたのであろう。夢破れ「魯」国を逃亡する際にかけられた温情により、陽虎の生は繋(つな)がり、人生をも一変させた。悪行の限りを尽くした前半生を顧(かえり)みて、その名もなき門衛から受けた恩に深謝し、彼が抜け出た城門の一つが、後に陽虎が真っ当な道を歩む分水嶺(ぶんすいれい)になったのだと信じたい。

 次回は博聞強記の人、淳于髠(じゅんうこん)のお話を。

 
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