月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

編集後記
 

 

 

   春節の到来とともに、気候も徐々に暖かくなりつつあるようです。

   春節休みの後半、四川省成都に旅行しました。実は、私は四川大学で1994年から96年までの2年間、成都に留学したことがあり、その時以来、何と23年ぶりの訪問となりました。それはタイムマシンに乗ったような旅でした。青島で例えて言えば、「五四広場」(成都では天府広場)や「八大関」(成都では武侯祠)といったところは変わっていないのですが、その付近が以前は全くなかったビル群、オフィス街、商業区に様変わりしていました。留学していた四川大学の留学生楼はかろうじて残っていましたが、今夏の取り壊しが決まったと聞き寂しく感じました。留学していた頃、その近くの小食堂で5元くらいのラーメンを食べるのが常だったのですが、その辺りがお洒落なカフェバー街になっていたのも驚きでした。四川と言えば火鍋ですが、深夜でもたくさんの火鍋店が営業しており、深夜零時を過ぎても多くの人で賑わっています。

   元々成都は商業都市でそれなりに発展はしていましたが、20年あまりで全く別の街に生まれ変わっていて、この度の旅行で最近20年の中国の変化を本当に実感できた次第です。

   1994年から数えれば「25年間」の変化ですので、あまりの驚きにしばらく、様々な事に対して25年後にはどうなるのだろう・・と考えてしまうことが多くなってしまいました。例えば、私は今50歳なので75歳となります。自分を取り巻く環境も激変していることでしょう。家族は、友人はという所から、日本は、中国は、と次々と連想してしまいます。逆に、それだからこそ、今青島で勤務、生活していることは貴重なのでしょう。25年後、青島はどんな街になっていることでしょう?五四広場は依然として街のシンボル的存在なのでしょうか?ただ、言えることは「海の街、港の街」であることは変わらないことです。青島が素晴らしい海の景観と海洋産業を中心に据えることはこれからも変わらないと思います。日本も海に囲まれた国であるので、その相似点を活かして、長期的な観点から青島との関係を更に強化していきたいものです。

 
   
    
 編集長
 

 
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