月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

ふるさと自慢

<東京都昭島市編>

 

「はぁ~ 海はねぇ、山もねぇ、自慢するよな食べ物ねぇ、オラこんな街いやだ~、オラこんな街いやだ~、東京さ行くだ~」
と歌ってしまうような街ですが、昭島市はれっきとした東京都であります。
申し遅れしました、東京都昭島市出身の青島嘉都麗の青木です。魅惑的な女性下着を製造販売しております、女性下着の専門家です。

「東京の昭島です」と出身地を紹介すると、「小笠原諸島かどこかの?」というボケているのかディスっているのかわからない返答もあり、父島、母島、昭島、的な発想が生まれるのかも知れませんが東京の地図を見ていただくと:
昭島市位置図
東西に延びた東京都のほぼ真ん中、オーストラリアに似た形が昭島市です。
日本の中心が東京であれば、昭島は東京の“へそ”、もはや昭島は日本のエアーズロックと言ったら、ちょっと過言です。
昭島市は65年前に昭和町と拝島村が合併して昭島となりました。
駅から南へ10分も歩くと今でも畑や養鶏場があり新鮮な野菜や卵が無人販売所で購入できる何とものどかな東京のベッドタウンです。

自慢にはなりませんが昭島市は米軍基地とは切り離せない街であり、とにかく朝から晩まで戦闘機の爆音が絶えない所でもあります。
昭島周辺にはその昔、立川基地と横田基地2つの米軍基地があり、横田基地は今も時々ニュースで出てくると思います。17年にトランプ大統領が来日した際には横田基地から日本へ入り、そこから都心にヘリコプターで都心へ向かいました。
1970年代ベトナム戦争時は米軍輸送機地として横田基地から数分おきに軍用機が往来していました。子供の頃はファントム戦闘機や巨大なギャラクシー輸送機に歓喜していました。


ファントムF2戦闘機           ギャラクシー輸送機   

さぞ騒音に悩まされたのではと思わるかも知れませんが、国の政策で軍用機の飛行経路下の住宅や公共施設などは全て防音の2重窓とエアコンが無料で設置されていました。特に当時それほど普及していなかった冷暖房が小学校、中学校の教室及び体育館に設置され快適そのものでしたが、他市の高校へ進学した際にはクーラーすらない教室に愕然とした思い出があります。
当時は父親が米軍基地で働いていたので、休日や基地内イベントでは父親に連れら基地内の家族とよく一緒に遊んだりしました。
ご存知の方もいるかと思いますが、米軍基地内は完全にアメリカです。スーパーに行くと当時の日本ではあまり見かけないハーシーチョコレートやスライスチーズが非常に安価に売られており、芝生の上ではビキニの女性が日光浴をしたり、目の前をローラースケートで滑走する少年がいたりと歩いて行けるカルフォルニアがそこに存在していたのです。

サマーフェスティバルのイベントでは大型ドラム缶の上に簡単な腰掛を作り、横の的にボールを当てるとその腰掛がガタンと落ち、腰かけている美女が水に落ちてびしょびしょになるというゲームがあり、取り囲む男たちは「イエー!」と盛り上がるというフェミニストには見せられない素敵な光景が広がっていました。
純朴だった青木少年にはあまりにも刺激が大きいものでしたが、必死に的にボールを当てる事に集中し、ソフトボールの投球術が大分向上しました、目標は大事です。
昭島市民全てがこのようなアメリカンライフを享受していたわけではないですが、少なくとも40年前までは皆さん米軍基地と共に共存していたと思います。

<唯一の自慢の昭島産物>
2017年「全国水道危険度ランキング」(週刊ダイアモンド2017年7月29日号)にて全国市町村1,219の中で昭島市は栄えあるワースト1219番目に選ばれました。危険度ランキングの最下位、つまり一番危険がない、だから一番安心、結果一番おいしい、のはずだと昭島市民は思っているわけです。「芸能人抱かれたくない男優」の最下位になったようなものですが、喜んでいいのかどうかわからないです。秩父山系から流れる地下水をくみ上げ水道水にしているので真夏でも蛇口をひねると、冷たい水が飲めます。ポンジュースが出てくる愛媛には負けますが、朝の一杯の水は格別です。
このランキング後に昭島市はなんと「ふるさと納税」の返礼品を「あきしまの水」にしました。この水は湧き水などではなく、蛇口から出ている水道水。日本一安全な水道水ではありますが、ふるさと納税に協力された方が送られた返礼品を前にちゃぶ台をひっくり返す姿が目に浮かびます。

とまあ、取り立てて自慢するような景色や物がない昭島市、最新戦闘機や話題のオスプレイなどを見たい飛行機マニアの方には穴場です。今や東京の住みたいランキング上位の立川市や八王子の影に隠れ目立たない街ですが、私個人は落ち着ける故郷です。

 

 
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