月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
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グリーン放弾

 

 
 

茂木さんよりバトンを受け、今月号は私、丸紅の松沢が筆を取らせて頂きます。

私とゴルフの出会いは、小学生の頃、父に連れられて練習場に行ったのが最初になります。
高校の時には初ラウンドも経験。本格的に始めたのは、大学に入ってから。大学では体育会に所属したく、メジャースポーツの野球などは中学高校の経験者で占められています。初心者が選択する余地は少なく、初心者でも入部できるヨット部かゴルフ部で迷いました。結局ヨット部の合宿所が余りに汚かった事が、ゴルフ部を選ぶ決め手でした。

ゴルフ部時代は、毎日300-500球の玉打ちに加え、ダッシュ50m*30本、腹筋背筋各300回、締めマラソン10km等、トレーニングは相当に厳しかったと思います。何か粗相が有ると連帯責任で下級生はスクワットを延々にやらされるのですが、2年生になる時はスクワット1000回くらいは、何の苦もなく出来るようなっていました。

そして新入部員の最初の目標は100を切る事。月例で100を切れないと坊主でした。授業にも殆ど出席せず、これだけ練習するのですから、夏には全員坊主を脱出していましたが。

当時、私が所属するクラブは1部リーグに所属しており、日大、専修、日体大が常連で、我母校慶應は1部残留を目標にやってました。今思うと情けない目標です。しかしながら他大学は米山剛、芹澤大介、川岸良兼、鈴木亨、伊澤利光、深堀圭一郎、丸山茂等々、後のプロゴルフ界を牽引する選手達を擁し、彼らとは全く次元が違いました。才能も経験も劣る我々は練習するしかなく、その結果として1部残留を果たしたものの、同期の1/3が留年するという被害も出しました。昔の体育会は何処もこのようでしたが、学生として本末転倒ですね。最近の学生は文武両道と聞いているので安心してます。

話は飛びますが、3年前に青島に赴任して参りました。実は20年近く殆どゴルフから離れていたのですが、この優れた環境下、御多分に洩れず再開しました。やはり一番驚いたのはクラブとボールの進化。私がゴルフを始めた頃はパーシモン、糸巻きボール。道具の進化で大学時代と今では殆ど飛距離に違いはありません。(因みに先日現役の学生と回る機会がありましたが、皆300Y位かっ飛ばします。つまりは30年前と比べ、道具の進化により、ドライバーの飛距離が50-60y伸びているようです) 飛ぶだけでなく、曲がらなくなったので、スイング理論も昔と大きく違ってます。

今更、競技ゴルフを復活する気も毛頭ないので、少しづつ上手くなれれば良いなと思います。それより楽しいゴルフ続けたい。目標は100歳までゴルフを続ける事。人生100年時代!欲を言えば、エージシュートの達成かな。

次回は三菱UFJ銀行の岩崎弥太郎さんにバトンを託します。

 

 


 

 
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