月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

ふるさと自慢

<大阪府堺市>

 

ジェトロ青島事務所の田中と申します。今回は私が幼少期から高校まで約16年住んでいた「堺」について紹介したいと思います。

突然ですが、ここでクイズです。そもそも堺ってなんで「さかい」というのでしょうか。チッチッチ・・・。(下を見たらダメですよ。笑)
ご存じの方も多いと思いますが、正解は、古来より信仰されていた「方違(ほうちがい)神社」が摂津の国、河内の国、和泉の国のちょうど「境」にあったからです。「境(さかい)」だから「堺」。なんてシンプルな理由でしょうか。ちなみに、明治時代より受け継がれる市章は、名称の由来にちなみ市の字を三つ組み合わせた形をしているようです。なるほどですね。へぇへぇ(2へぇ)。

中世には、国際貿易・自治都市として繁栄し、その後の戦を変える鉄砲の鋳造やキリスト教の伝来など、堺は歴史の表と裏の舞台で多くの出来事を経験しました。堺から離れて、はや10年ほど、せっかくふるさと自慢のできる機会をいただけたということで、岩島さんの魅力あふれる「森町(もりまち)」の紹介に続き、以下では、知恵と工夫で伝統を受け継ぐ「堺もん」を3つほど紹介させていただきます!
コンブ
中国では、2013年より習国家主席が唱えた「一帯一路」(広域経済圏)構想が注目を浴びており、ここ青島も重要な戦略都市ですが、堺は、「一(海)帯一路」とでも言いましょうか、「コンブロード」の終着都市です。(どうぞスルーください)
日本では昆布は、精進料理に使われ始めた鎌倉時代より食べられ始め、以前は北海道で収穫された後、本州まで船と陸路を使って運ばれました。その輸送ルートを通称「コンブロード」と呼んでいるようです。その後、江戸時代に入り、北海道から瀬戸内海をまわって大阪に入る「西回り航路」が誕生し、そこで、堺のコンブ文化が花開いたようです。
では、なぜ、とりわけ一大生産地でもない堺のコンブがこれほどまで全国に名を轟かせたのでしょうか(すみません、勝手に有名だと思っています。お許しください)その裏には、堺の伝統工芸品である「刃物」が関係しているようです。
昆布の食し方としては、煮だしてダシをとるのが一般的かと思いますが、当時も「おぼろ」「とろろ」として食されることが多々ありました。いまでは機械などを使って効率よく作られていますが、江戸時代には、その加工に上質な刃物が必要とされました。
とりわけ、1枚のコンブから、上面を削ることで作られる「おぼろ昆布」には、鋭い切れ味とコンブに吸い付くようなしなやかさをあわせ持つ包丁が必要だったようです。
そこで、その要求にこたえたのがまさに堺の刃物だったのです。北海道の良質な昆布と堺の匠の技で作られた刃物が出会ったことにより、堺の昆布は瞬く間にその名を全国に知らしめることになりました。(岩島さん、ありがとう!!)
旅先で昆布を手に取る機会はそれほどないかもしれないですが、堺にお立ち寄りの際には、ぜひ昔ながらの手すきで作られる「おぼろ昆布」や「とろろ昆布」はいかがでしょう。(ちなみに昔、皆さんも遠足に必携だったであろう「都こんぶ」も実は堺の企業さんが作っています。こちらもぜひ!)。

アナゴ
話が長くなりましたね。次に行きましょう。食べられる店があれば教えてください!
次はアナゴです。
さて、アナゴといえば(フグ田く~ん、今夜一杯行かないかぁ。ではない)江戸前や瀬戸内産のものが有名ですが、実はかつて、大阪もそれらに並ぶ一大産地でした。大阪湾では、アナゴの延縄漁が盛んに行われ、なかでも堺近郊のアナゴは「下関のフグ、堺のアナゴ」と称されるほど有名だったようです。かの美食家で知られる北大路魯山人も「アナゴの美味いのは、堺近海が有名だ」と絶賛しているぐらいです。
しかしながら、1950年代後半から海岸が埋め立てられたり、94年に関西空港ができたことによる大阪湾の海流変化などにより、漁場は制限され、アナゴの水揚げ量は大幅に減少してしまったようです。
戦前は一角にアナゴの専門業者がひしめく「穴子屋筋」もあったほどでしたが、それも水揚げ量の減少にともない、多くは店を閉めてしまいました。
ただ、アナゴの専門的な加工技術と目利き力を持ったプロらにより、近年は堺のアナゴを以前のように盛り上げようと数々の取り組みが行われているようです。
その一つとして、2017、18年には、全国津々浦々のアナゴ銘店が堺に集う「アナゴサミット」なるものが開催されました。またその取り組みが奏功してか(本物のサミットでもある)今年6月のG20大阪サミットでも、歓迎レセプションにて、明石ダコなどとならび、堺(泉州)のアナゴかば焼きが提供されました。
たしかにかつてのよう大漁のアナゴを見ることはできないですが、江戸時代より受け継がれしプロの目利きと丹精込めた技で仕上げた絶品の味、堺で一度味わってみてはいかがでしょう。(当時いまのような理解はなかったですが、小学校の校外学習では、まさにアナゴ漁が盛んな堺・出島漁業で市場見学や漁船の乗船体験がありました。まさか今につながるとは、、学びは多いですね。)

和菓子
そろそろおなかが空いてきましたね。和菓子の話をしましょう。おかし、おかし!
千利休で知られる堺では、実はお茶請けである和菓子も独特な変化を遂げます。そのなかでも、とりわけ特徴的な2つを取り上げます。
まずは僕も愛してやまない「けし餅」のご紹介から。(ちなみによく聞かれるのですが、ケシってあのケシだよね、と。実はケシ由来のアヘンやモルヒネは、未熟果に傷をつけて出てくる乳液から生成されます。「けし餅」で使うケシの実は発芽防止の処理もされており全く問題ないです。ただ、ケシの栽培は法的に禁止されているので、やっぱりけし餅を食べたい人は堺に向かいましょう!笑)
前置きが長くなりましたが、「けし餅」とは室町時代に、南蛮貿易よりインドからもたらされた、けしの実を使ったお菓子のことです。こし餡を包んだ餅皮にけしの実がまぶされて、ほおばるともちっとした餅皮と、プチプチとはじけるけしの実の食感のコントラストがたまりません!お茶も進み、さぞかし、わび茶の普及にも貢献したこと必至です。(青島でも販売してくれないかな・・)
次に、ご紹介するのは「くるみ餅」です。くるみといいますが「胡桃」ではなく、餡(青大豆)を白玉で「くるんだ、包んだ」ため「くるみ餅」との名称になりました。(へぇ。1へぇ)こちらも、国際貿易港であった堺にて、鎌倉時代に勘合貿易で中国・明よりもたられた農作物などを使って作られたことに始まります。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ、現在のくるみ餅の形となりました。
同じ緑色でも枝豆の餡を用いる仙台の「ずんだ餅」とは違った、コクのある独特な甘みが特徴で、こちらもお茶請けとしては、非の打ち所がない和菓子だと思います。

以上、唾液腺は刺激されましたでしょうか。結果的に食い意地が張り食べ物ばっかりになってしまいましたが(苦笑)、これら以外にも、「あたり前田のクラッカー」を製造する前田製菓があったり、アルフォンス・ミュシャの専門美術館があったりと、古墳以外にも話題に事欠かない(今回、あえて触れませんでした笑)堺ですので、ぜひ関西観光のついでにでも寄ってもらえれば幸いです。
最後まで、お付き合いいただきどうもありがとうございました! 

 

 
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