新年明けましておめでとうございます。本年も「月刊青島」を御愛読方よろしく申し上げます。
年末年始,皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか?私は年末青島におりましたが,元旦より1週間ほど一時帰国いたしました。家の近くの神社参り,実家への年始挨拶,年明けそば?を食べたり,TVの箱根駅伝を見たりとそれなりの正月気分を味わいました。一方で,年末年始の世相は慌ただしく,特に米国とイランの関係がこれ程までに緊迫したのには驚きました。昨年と違い,今年は様々な事が大きく動きそうな予感がします。
さて,昨年末から今年初めにかけて,青島で二つの起工式に出席したのでご報告します。一つは,「青島大学付属病院国際医療センター」の起工式で,ロウ山区にある同病院に隣接する区域に,将来の国際医療(青島に居住する外国人が利用することを想定)を担う一大センターを建設,山東省で唯一省政府が出資するプロジェクトとのことでした。青島大学付属病院の董院長先生は,徳島大学で医学を学んだ元日本留学生で,最近小児科肝臓治療面で傑出した功績があったということから,国家科学技術進歩賞を受賞された方です。同院長より,当該病院は日本時代も青島医療の中心であったとのお話を伺いました。病院内にあるパネル展示を拝見したところ,日本時代は「同仁病院」という名称であったようです。将来の国際医療センターが素晴らしい施設となることを期待しますが,その底流には我々の先人も関係していることを知ると,より応援したくなりました。改めて,青島の日本時代について,より深く知りたくなった瞬間でした。
もう一つは,「青島橋頭堡国際ビジネス区の国際イノベーションセンター」の起工式です。こちらは膠州大橋を渡ってすぐの所に位置し,将来は,青島市が進めている国際化都市建設の中心的存在となるようです。一つは,医療分野,一つは経済分野で完成は3,4年先のこととなりますが,この動きを見ると,あくまで個人的な感想ですが,これからしばらくは,青島の都市としての高度成長は続くのではないかと思います。しかしながら,いずれは現在日本も直面している少子高齢化が深刻化する等して,都市としての成長は別の形をとっていくのではないかと予想します。
しかし,いずれの時代となっても,青島に日本時代があったという事実は変わらず,我々日本人にとって青島は特別な街であり続けるでしょう。青島で出席する記念行事のほとんどで,日本との深い縁,近未来の経済的展望を感じることができます。
今年も青島で数々の国際行事が繰り広げられることでしょう。何らかの形で参画して,日本と青島との関係を更に促進できるとよいと思います。
それでは,間もなく今度は春節となりますが,良き「春」をお迎えください! |