青島イオン 谷 直知
月刊青島をご覧の皆様、はじめまして。私は青島イオンの谷 直知と申します。本年度日本人会会長を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。
私は昭和45年(1970)生まれで今年51歳になります。神奈川県横浜市で生まれ、幼稚園に入る頃に相模原市へ引っ越しまして大学一年生までおりました。相模原というのは何にもないただの原っぱだったのですが、ベッドタウンとして近年大変発展しまして、いまでは人口が70万人を超え2009年に政令指定都市になっております。読売ジャイアンツの元四番・元監督の原辰徳さん、バナナマンの日村さんが相模原の出身では代表的な方です。
私の生まれた昭和45年というのは、第二次ベビーブームがまさに始まろうとしているあたりでして、小学校に入ったら全校生徒は1500人を超えていまして、一年生の時、私は一年七組でありました。一クラスが今と違って45人もいた頃です。ちょうどベッドタウンとして人口が増えていた時期だったのですね。相模大野駅から新宿行きの小田急線に乗ると、いつもむせ返るように混んでいたのを思い出します。
私の中国との出会いは小さなものですが、相模原市のおかげで意外と早かったです。小学校5年生のころだったと思いますが、相模原に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙科学研究所が誘致され、私は見学に行きました。そこで相模原市の姉妹都市として、江蘇省無錫市の存在を知ったのです。無錫にも宇宙開発関連の施設があるようで、相模原と無錫は「宇宙つながり」だったわけです。その後、約30年の時を経て仕事で無錫を訪れたときはまさに感無量でした。宇宙開発施設は見つけられなかったのですが、お取引先様と仲良くなるのにこの「宇宙姉妹都市」の話題が大いに役に立ったのがいい思い出ですね。
次は、ジェトロ青島事務所の吉川所長にバトンをつなぎます。吉川さん、よろしくお願いいたします。 |