月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
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青島の空の下で(73)  
   

4月某日。仮住まいしている高層マンションで火災に遭う。市中で消防車を目にすることはあまりなく、けたたましいサイレン音は救急車以外には聞こえなく、その分 車の無意味なクラクションが耳に触っていた。

夕方、5時過ぎころだったろうか、外出から戻り、着替えて少しくつろいでいるとき 何やら廊下で騒ぐ声がし、喧嘩でも始まったのかと思っていた。台所で夕飯の用意をしていた家人には換気扇のモーター音が大きくて聞こえてなかったようだ。それでも、執ような廊下の叫び声と隙間からゴムが焼けて出る異臭が入ってきたのでドアを開けると「火事だ!」と叫んでいて、黒い煙が見え、異臭が襲ってきた。これは大変だと「早く外へ!外!」とせかされる。

部屋にテラスはないので、外に出るには廊下にでるしかない。緊急事態で着替えるひまもなく、スマホに鍵、マスクをつけ、防寒服をひっかけて出ると、階段が煙突になっていて黒い煙が異臭とともにもうもうと上げている。

エレベーターは2基あって、そのうちの一基がこの階より少し上にいた。階段は1つだけで非常階段はない。以前、1度だけ下りたことがあるが、踊り場にある窓から薄明りが射している程度で、電灯はあるが常時ついていなく、3階から下は店舗使用のため窓がなく真っ暗という状況であった。しかも、階段には自転車や不要不急な家具、靴箱、野菜などが置いているところもある。

濡れタオルを取りに戻るか、エレベーターに乗るかの決断を迫られた。このエレベータも数日前、途中でガタガタと揺れたりする調子の悪い年代物で、まともに下まで降りるか心配ではある。ともかく運を天に任せてエレベータを選択。いつにもましてノロノロと動くようで、家人はこういう時にエレベータに乗ってはいけない。途中で止まったらどうする!?とプレッシャーをかける。中に煙も異臭も入ってくる。閉じ込められた緊張のときであった。

何とか外に出ると避難の人が大勢いてパンツ1枚の姿もあった。 出火は3階からで、通りに面した側(私は廊下を挟んで反対側)であった。すでに消防隊が到着していて、ホースを運び入れている。マンション内の通路は駐車場と化していて大型の消防車が入る余地はない。道路に出てみると火元から盛んに火と黒煙が噴き上げており、消防車の放水が始まっていた。夕方のラッシュも重なり、一時は野次馬と車の渋滞で大混乱であったが警察の整理で交通遮断され、防火活動がすすんだ。
ある程度鎮火した風なので友人の家に行って食事をし、何せ着の身着のままで出てその後どうなっているかも知りたいので9時頃であったか現場に戻る。たくさんの住人が詰めており、社区の人からの説明があった。今日は中に入れず、電気、水道、ガスはストップ。エレベーターは使えない。今晩寝るところを案内するということであった。グループに分かれて「旅館」に行くと6畳ほどのロビーは大混乱している。別のホテルに自主的に避難した。フロントは火災を知っているようであったが、それでも外人なのでパスポートを出せという。明日持ってくるからといっても駄目で、スマホにパスポートの顔写真ページを撮っていたので、それを見せてOKになった。

翌朝、水浸しの現場に行くと現場検証をやっており、異臭のする階段を使って部屋に入ることは可能であった。途中、踊り場の窓から火災現場の一部が覗く。ガラスが飛び散り、壁も真っ黒に焦げ、家具など炭状の残骸が見える。

着替えなど用意してホテルに連泊することにしたが、電気などは夜には使えるようになったらしい。外から見上げると結構部屋の電気がついていた。類焼は無かったようで耐火はしっかりできていると安心する。

火災から翌々日、階段にLEDの電線というのか紐のようなのが垂れ下がり、明るいと同時に階段に物がなくなり歩きやすくなった。外壁にロープが垂れているので何かとみれば、驚くことに黒く焦げたところを業者がさっそくクリーム色に塗っている。外からみると火事跡がどこかわからない。これぞ中国式!!か。エレベーターも1基だけ動き始めた。私はまだ信頼できず階段を使っているが、どこまで乗らずに頑張れるか自信はない。ともかく3日目からは正常(?)に戻ったのである。

(I)

 

 


 
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