郊外にある青空市場に行くと狭い通路を挟んで80メートルくらい連なっている。だいたい1つの店が仕切りがあるわけではないが、間口2メートル弱で地元の採れた野菜や果物を中心に地面に直接並べておいてある。
そういう中に、ニワトリの籠のとなりにまだ小さいウサギの籠があった。まさに3密(密閉、密集、密接)状態にある。幾らかと聞くと50元ということで1匹(正確には羽と数えるらしい)買って帰り、早速通販でケージなど購入した。

昔話に、隠岐の島にいたウサギが陸地にわたるのにサメを呼び出し、どちらが多いかとサメを陸地まで並ばせ、渡ったところでだまされたサメが怒って皮を剥いだということからウに詐欺がついてウサギとなったと まことしやかな話があるが、身近にいるとすぐに馴染んでなかなかかわいい。はやり言葉でいえば「癒される」。
立花隆の死亡記事が6月の末にでた。立花といえば「田中角栄研究」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」が掲載された「文芸春秋」で、発売前から内容が取りざたされていてすぐに完売となり、書店にはいつ入るかわからなかった。私は知人に頼んでコピーをもらって読んだ記憶がある。
そのルポが決定的なダメージを与え2か月後に内閣は瓦解した。
一躍ジャーナリストとして名を成した(当時33歳)立花は、父親が北京の師範学校副校長になったため3歳から6歳まで北京で生活している。 本年4月に80歳で亡くなるまで宇宙から生物、病理などのサイエンスから文系のあらゆるものに造詣深く100冊以上の著作のジャンルが実に広い。
3万冊の本を読んだと豪語し「知の巨人」と呼ばれた。
彼の教え子がインタビューに出向くとき、礼儀として相手の著作は最低限読んで行けと申し渡したそうで、彼自身一番勉強したときは、学士入学で東大の哲学科に入ったとき、おりしも全共闘の全盛時代にあり、「大学はストとロックアウトの連続で半分休校状態にあったが、ギリシャ語でプラトンを読み、ラテン語でトマス・アキナスを読み ドイツ語でヴィトゲンシュタインを読み、フランス語でサルトルを読み、アラビア語でコーランを読み、ペルシャ語でルーミーを読み、漢文で荘子集註を読みという日々だった」。(「死はこわくない」あとがきより)という。
そういう裏付けがあったから、角栄で確かにブランドになったものの、その後も時間を取られすぎ、それがなければサイエンスの方にもっとジャンルを広げられたのにと、悔やんで見せたそうだ。
さて、コロナの渦中にあってオリンピックの開催が間近になってきた。
凡人としてはテレビにかじりつくほかないが、それでよいのかとウサギに癒されながら思案中というところである。 (I)
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