月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

ふるさと自慢

<兵庫県姫路市家島町真浦>

青島聨合包装有限公司 横田博文

 日本人会の皆さん こんにちは。青島聨合の横田です。今年6月に初めての海外勤務としてこの青島にやって参りました。「ふるさと自慢」のエッセーを書く機会を頂きましたのでご紹介いたします。

 私が生まれたのは兵庫県の姫路市の瀬戸内海にある「家島」という離れ島です。関西の人だと大体わかると思いますが、淡路島と香川の小豆島の間にある大小40余りの群島の一部の島です。4つの島を除いて他の島は無人島ですが人口は8千人くらいで総面積は20㎢です。名前の由来は古く神武天皇の時代に瀬戸内海航行中に立ち寄った天皇が「波静かにして家の中に居るようである」と仰せられたといわれます。

 地理的に「京から九州四国へ行くときの風雨を避けるために」「京で断罪された人物が移り住んだ」とか言われ、「万葉集」「風土記」にも出てくるそうです(真偽は未確認)。
 菅原道真が立ち寄ったとの逸話もあり、割と立派な天神様が祭られています。

 私は中学校を卒業するまで住んでいましたが島の特徴は
・とにかく土地がないので道が狭い~軽車両でもすれ違いはムリ。当然信号なんかナシ
・水がない16時~21時までしか上水道は出ません→当時は町所有の小型ローリー船
 が本土に水を積んで往復して供給する~今でも水の出しぱなっしはできません
・レジャー施設全くナシ~パチンコ、コンビニ、レストランもナシ
・当時は本土の姫路港との定期船が5便/日所要約1時~朝刊は早くて朝11時過ぎ
とまあいくら昭和とはいえ、見事な自給自足的な生活でした。でもそのころ世間はみなそんなものだと思っていました。

 ですから子供のころの遊び場はひたすら海です。夏は釣りか水泳です。釣りエサ屋など当然ありませんから、日曜日に釣りに行きたいと思うとまず土曜日に磯に出向いてエサになるゴカイを掘って捕まえ翌日の日曜日に釣りに行きます。釣りのハリなども造船所の針金を貰ってきて研いだりしました。高校生になったからは姫路市で下宿生活が始まりましたが、泳ぐために「プールに行ってお金を払う」意味が分かりませんでした。小中学校でもプールなどなく、夏の体育の時間は「沖渡り」という約1kmくらい湾から湾へ泳ぐイベントがありました。中学生になると素潜りをはじめます。磯のタコやサザエを捕って帰ってくると母が調理し夕食に並びます。そうやってタコやサザエを取れるようになると近所から「一人前」と認められる感じでしたね。今でも時々暗い海底で彷徨う夢を見ますが、大体酔払って薄着のママ寝こんでしまっていることが多いです。

 あまり楽しみの無い環境でしたが、夏祭りだけは心躍ったものです。7月の20日ごろに各集落が天神様で獅子舞をするのですが、各集落からは大変立派な飾りつけをした「壇尻船」で獅子舞をしながら船で参詣します。この船のデッキには改造された舞台があり獅子舞をしながら天神様まで行き、本殿で獅子舞を奉納するのがクライマックスです。各家では子供はご馳走が出て新しい服を買ってもらい「特別な日」になります。獅子舞は本番1ケ月ほど前から練習を始めますが、家の網戸や蚊帳を通して笛や太鼓のお囃子や掛け声が聞こえてくると「今年も日本の夏が来た」となるのです。

 縁あって海のある青島で勤務することになりました。青島も雨が少なく温暖な気候でふるさと家島によく似ています。時々海岸べりを散歩すると潮の香りが子供のころの夏祭りのご馳走と獅子舞を思い起こさせます。

 自慢できるほどの故郷ではありませんでしたが、不便な中にも島民同士の共同体的な暮らしがあり、常に自然と触れ合える日常は大変貴重な環境であったと思っています。

 青島の人々は大変真面目で親切な印象を受けます。気候や土地柄が似通う青島が異国での『第二の故郷』になればこの上ない喜びになると思っています。コロナで様々な制限もありますが早く慣れて仕事も生活も充実したものにしたいと思って止みません。

 

 
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