1.日本陸軍、本格的攻撃を開始
独逸の青島要塞を攻略する任務を与えられた独立第18師団(師団長神尾光臣中将)は9月2日に中国山東省竜口に上陸、師団の一部は9月18日に青島郊外の労山湾に上陸し、9月25日までに山東省即墨を中心に師団本体を集結した。(詳細は図6-1参照)
その後第18師団(以下攻囲軍と略称)はこの付近の独逸軍を排除、10月29日までに「孤山-浮山」を結ぶラインまでの地域(図7-1青線)を制圧して攻囲陣地とし、同時に攻城砲陣地を各所に構築して、正面より独逸軍要塞を攻撃することとした。
(独逸軍要塞配置図は青島物語前編図20-1参照)
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第18師団攻撃計画要図 (図 7-1)
① 10月30日、攻囲軍はさらに「四方-辛家庄」を結ぶ
線(図7-1茶線)までを確実に制圧し、いよいよ総攻撃
の準備を整えた。独逸軍は攻囲軍の動向を察知して、早
朝より中央隊の後方に猛烈な砲撃を集中し、堡塁正面か
らは機関銃による掃射が行われ夜半に至るも止まること
がなかったが、攻囲軍はこの日は応射を控えた。
② 10月31日、神尾師団長は総攻撃の開始を命令し、孤
山付近に設営された海軍重砲隊からの砲撃を皮切りに、
全重砲隊が一斉に独逸軍砲台および堡塁に対して射撃を
開始した。湾外の日本海軍艦船からも、攻囲軍に呼応し
て砲撃を開始した。
歩兵・工兵部隊は、攻城砲部隊の激烈な砲撃の下、独逸
軍の陣地を攻略し、同時に交通壕の掘削にも集中した。
(地図出典:大日本戦史第5巻より)
大港付近石油タンクの火災 (図 7-2) 被弾により火災を起こした造船所(図 7-3)
 
午前7時頃、攻囲軍の砲弾が大港付近の独逸石油タンクに さらに攻囲軍の砲撃により、大港外側防波堤の先端に
命中し、黒煙は空高く上がり、やがて満天を覆うばかり ある造船所が被弾し、黒煙を上げた。この写真右端に
に終日燃え続けた。総攻撃開始早々の戦果であったので 見える大型起重機は、オーストリア軍艦エリザベット
攻囲軍の意気はこれにより大いに上がったという。 号とともに、11月2日独逸軍自身により爆破された。
(写真出典:特記するものを除き、日独戦役記念写真帖より)
土嚢を積み上げた交通壕 (図 7-4)

③ 11月1日、攻城砲兵諸部隊は、前日に引き続き、独逸軍堡塁・砲台に対
して砲撃を継続した。
攻囲軍歩兵・工兵各部隊も進撃を開始し、同日夜までに東呉家村を含
む第1攻撃陣地(図 7-1緑線)を攻略し、同時に交通壕の掘削・構築も
一層進展した。
④ 11月2日より、攻囲軍は28センチ榴弾砲の据え付けを終え、いよいよ巨弾による砲撃を開始した。ただ、当日は風雨激しく、重砲攻撃は断続的に行われるだけであった。
この天候状況を利用して、工兵部隊数名が中央堡塁外壕の鉄条網の一端を切り抜いて内部に侵入し、鉄条網の構造の偵察に成功した。また、歩兵部隊第9中隊は小湛山堡塁付近の高地を攻撃、鉄条網を突破してこれを占拠し、以後の攻囲軍左翼の前進に大きく寄与した。
⑤ 11月3日夜までに、攻囲軍歩兵・工兵隊はさらに攻勢ををすすめ、予定線であった西呉家村・尤家庄付近の高地を経て浮山所に連なる第2攻撃陣地(図7-1赤線)を確保し,独逸軍の堡塁前に敷設された鉄条網防御戦の突破に向けて最後の準備に取りかかった。この日、大港内造船所前に係留されていた浮ドックの傾斜が見受けられたが、これも独逸軍が自身の手で爆破したのだ。
⑥ 11月4日、攻囲軍の連日の砲撃により独逸軍各砲台・堡塁はほとんどが何らかの被害を被っており、特に掩蓋のない砲座は多く破壊され、砲撃を停止した模様であった。加えて独逸軍は、日本攻囲軍上陸以来約1ヶ月に及んで砲撃を続けたため弾薬も次第に欠乏して、この頃より独逸軍の砲撃は次第に散発的となってきた。
イルティス砲台の破壊された砲座 (図 7-5) 砲弾で破壊された小湛山堡塁 (図 7-6)
 
この日、日本攻囲軍右翼小隊は海泊河を渡り独逸軍海岸堡塁に接近、午後9時頃、青島水源地ポンプ所の敵情偵察に赴いたが、独
逸軍の不意を突いてポンプ所を攻撃し、独逸兵23名を捕虜としてとらえ、ポンプ機械室の自爆装置を未然に解除した。これにより、この後青島が陥落した際に、程なくして青島市内への水道水の供給が可能となったのだ。
さらに攻囲軍右翼は小湛山堡塁の前面に肉薄した。
独逸軍が自ら爆破した台西鎮砲台 (図 7-7)

⑦ 11月5日、攻囲軍はさらに独逸軍堡塁下に迫り、塹壕や突撃壕の掘削は
一層前進した。 日本攻囲軍の一斉攻撃はいよいよ間近となった。
夜9時頃、台西鎮砲台は独逸軍自身の手で爆破された。
⑧ 11月6日、攻囲軍右翼の歩兵・工兵隊は海泊河を越え、塹壕・交通壕を作って独逸軍海岸堡塁にさらに接近した。独逸軍は最初機関銃射撃で防戦したが、攻囲軍野戦重砲隊から堡塁に向けての間断のない砲撃により、独逸軍は堡塁の火線に止まり得ず、掩蓋内に隠れあるいは後方に退却した。また、独逸軍ルンブラー型飛行機は、この日、上海方面に脱出した。
⑨ 神尾司令官は7日払暁を期して攻囲軍各歩兵・工兵部隊に一斉に突撃命令
を発したのだが、すでに前日午後に各部隊は独逸軍堡塁に近接し鋭意偵察を イルチス砲台を占領した中央隊(第56連隊 )(図 7-8)
強行していた。
7日午前1時40分、第2中央隊左翼大隊は中央堡塁に突入してこれを占領
した。さらに中央隊左翼隊の別小隊は小湛山北堡塁を攻略し、中央隊右翼
隊は台東鎮東堡塁を占領した。
中央堡塁を突破した第2中央隊はさらに攻撃を進め、イルチス砲台、ビス
マルク砲台を占領し、ここに日本攻囲軍は独逸軍青島防衛線の中央を初めて
突破し分断したのである。
右翼隊の攻撃目標である海岸堡塁は、しばらく頑強に抵抗していたが、
午前7時頃に降伏した。
第1中央隊工兵小隊は独力で台東鎮堡塁を攻略、引続き進軍を進め、午前
6時頃にモルトケ山砲台を占領した。
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