月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

ふるさと自慢

<東京都目黒区>

    皆さんこんにちは、2021年度日本人会理事を務めさせて頂いております原と申します。「ふるさと自慢」という事で、東京都目黒区を目黒駅から目黒通りに沿って観光案内させて頂きます。

    目黒駅なのに目黒区ではなく品川区にあります(その品川駅も港区にあります)。地元住民の反対により計画していた目黒川沿いの低地から、武蔵野台地の高台に押しやられたと言われています。坂を上る事が苦手な鉄道はその高台を上り切れず、高台を切りとおした掘割に駅が設置されています。谷底にあるようなホームに立つと山手線の奥の更に深いところに別の線路があり、それが開業当初の山手線線路です。後年、電車の進化により現在のやや高い位置に線路が移設されましたが、もとの線路も現役で山手貨物線を経て、現在は新宿湘南ラインや成田エクスプレスが通ります。ちなみに、山手線の品川駅から池袋駅に至る西側路線は東京の複雑な地形を感じられる楽しい電車です、この区間はスマホばかり見ずに車窓からの景色を楽しんで下さい。

    さて、目黒通りは目黒駅のある高台から目黒川に向けて下り坂になります。地元住民の為に最期は処刑されてしまう江戸時代の(地元の)英雄「菅沼権之助」の名前がついた権之助坂が広がります。この辺りは商店街が広がり美味しいB級グルメ飲食店が立ち並んでいます。特に昭和初期創業のとんかつ「とんき」が有名でキャベツと味噌汁はお代わりタダです(トン汁はお代わりできません)。個人的には、駅前にある創業50年以上の立ち食いソバ屋「田舎」がおすすめです。

    目黒通りから少し外れますが、この先は権之助坂ではなく、そのすぐ東にある行人坂を下って下さい。行人坂の上からの景色は格別で富士山が、、、昔は見えたそうで、その風景は歌川広重の浮世絵に描かれています。浮世絵を見ながら当時に思いをはせ眺めるのが良いでしょう。その急坂を下る途中、榊原郁恵で一躍有名になった堀プロ本社の正面に江戸時代の大火事「明和の大火」の火元となった大円寺があり、その境内には90年後の「天和の大火」を原因とした恋愛物語で火あぶりの刑となった「八百屋お七」にまつわる井戸が残っています。(詳しくはググって下さい)

    行人坂を下りたところに、日本初の結婚式場やホテルなどを備えた複合施設である雅叙園があります。ここの中華料理レストランでターンテーブルが発明され中国に伝わったと店員から聞いた事があります(本当か知りません)。最近建て替えられましたが、昔の内装は無形文化財として残されており一見の価値が有ります。一方で昭和の大型経済事件であるイトマン事件など、様々な経済事件に巻き込まれた暗い歴史もあり、詳しくは「行人坂の魔物(講談社)」をぜひ読んで下さい。ちなみに、その講談社と過去、緊張関係系にあったアマゾン(日本本社)はここのオフィス棟にあります。

    その先、太鼓橋(この橋も広重の浮世絵「目黒太鼓橋 夕日の岡」に描かれています)で目黒川を渡ります。目黒川は最近では桜で有名になりましたが、人が少ない時期の川沿いの散歩もお勧めします。川上から順に縄文時代の竪穴式住居あと、江戸時代の水車跡(復元)、明治時代の火薬製造工場(現、自衛隊基地)、船着き場跡、昭和に入ってからの地下治水施設など、川下は、、、キリが無いので止めますが桜以外にも歴史を感じる史跡がたくさんあります。ちなみに、花見は川沿いを歩くのも良いですが、品川の天王洲から船に乗って目黒川をクルーズする事もできます。人でごったがえす、川沿いをゆったりと船から見下ろす(見上げる?)のは軽い優越感に浸れ、少し良い気分でもあります。でも、開花の時期に上手く予約を合わされるのは困難で、家族で数回乗りましたが桜を見る事ができたのは1度だけ、軽い優越感に浸るために多額の費用と時間を費やす結果となりました。

    目黒川を越えて少し歩くと、地名の由来となった目黒不動尊があります。入り口にある鰻屋さんでテイクアウトの鰻を買って境内で食べるのをお勧めします。中には小学生の時に学んだサツマイモの青木昆陽の墓や、戦前の右翼某思想家(削除されるので名前は伏せます)の墓などがあります。江戸時代は江戸近郊の一大リゾート地であり、男同士で目黒不動参りをして、帰りに品川遊郭で遊んで帰ったそうです。

    さて、目黒通りに戻りましょう。目黒川を超えると山手通りとぶつかり、角に大鳥神社、山手通りを右に曲がると愛しのラーメン二郎目黒店があります、他の二郎より量が少なめで女性でも安心です。山手通りを超えるとそこから再び武蔵野台地を上る坂になり、のぼり切った交差点名が「元競馬場」です。明治から昭和の初期に府中に移転するまで競馬場がありました。第一回ダービーはここで開催されたそうです。道端には記念碑や馬の銅像があり、現在は目黒記念(GⅡ)として名前が残っています。グーグルマップで見てみると目黒通りの南側の住宅街に不自然に道路が半円カーブを描いている場所があり、古地図アプリで重ねると競馬場の外周と一致しているのが面白いところです。閑静な住宅地ですが、競走馬の気分になってダッシュしてみるのが良いと思います。

    上ってきたこの坂(金毘羅坂)は現在では家具通りと言われ、なんだか洒落た舶来モノ家具屋やインテリアショップが並び、週末になると今風の若い夫婦やカップルがウロツくデートコースに変わりました。その通りの中央で、ひとり気を吐いているのが「目黒寄生虫資料館」です。入館料無料、300以上の寄生虫の標本をはじめ、多くの関連資料がある、国内唯一の寄生虫専門資料館です。特に見ものは10メートル近くのサナダムシのホルマリン漬け標本と、実際に手に触って長さを体感できる同じ長さの白いヒモ。お土産コーナーで売っている「立体サナダムシ・プリントTシャツ」は素晴らし出来上がりで思わず買ったのは良いですが、完成度が高すぎて着ていく場所が無いどころか、家でも着させてもらえません。マンネリしたデートの打破には、家具屋めぐりよりも、寄生虫資料館からのラーメン二郎がお勧めです。

    段々、雑になってきましたが、気を取り直して先に進みます。この先は面白い地名が連続します。競馬場の次の交差点が「油面」。江戸時代にこのあたりはアブラナの栽培が盛んで、採取した油を収める代わりに税金(年貢?)を免除されていたそうで、「油免」が語源らしいです。ちなみにその手前にある「目黒十番」の肉まんは絶品です。近くに寄ったらテイクアウトしてください。その先、目黒消防署の先にある「ステーキハウス・リベラ」も有名店でいつも並んでいます。

    その先の交差点は「鷹番」です。江戸時代当初、このあたりは鷹狩の場所である鴨場に指定されており、鴨場の監視小屋があった事が由来だそうです。鷹狩といえば、江戸時代、お殿様が鷹狩をした帰り道に目黒の茶屋でサンマを食べて、、、という、有名な落語「目黒のさんま」が連想されます。お殿様が誰で、目黒のどこでサンマを食べたのかは知りませんが、第三代将軍家光が鷹狩の帰りに立ち寄るお気に入りの茶屋が目黒川近くにあったらしく、近くの坂に「茶屋坂」の名前で現在も残っています。(この茶屋も広重の浮世絵があります)

    この落語「目黒のさんま」にちなんで、毎年駅前商店街で「目黒のさんま祭り」が開催されます。宮古産のさんま、徳島産のかぼすを使ったさんまの塩焼きがタダで提供されます。一度だけ行きましたが3時間以並びます。熱中症との戦いですので、水と帽子は持参してください。ちなみに、名前は「目黒のさんま」ですが品川区が後援、それとは別に目黒区が主催の「目黒のさんま祭り」もあります。(ややこしい!)

    目黒区は武蔵野台地を目黒川と呑川の浸食によりえぐられた為、坂が沢山あります。目黒区が発行した冊子「坂道ウォーキングのすすめ」(200円)と、広重の浮世絵を持って、各坂の名前の由来を紐解きながら散歩するのがお勧めです。数年前の夏休みに冊子に掲載された全ての坂を制覇し、そのレポートを作成し、そのまま息子の夏休み自由研究として提出しました。(もう卒業したし時効です)
    自動車ディーラーの並びが途切れたあたりに、大きな建物「イオンスタイル碑文谷店」があります。以前はダイエー碑文谷店という名前で、大型スーパーが少ない近隣でのシンボル的存在です。このビルはボウリング場として建設され、それを転用したそうで、確かに中に入ると、横に広く、エスカレーターが端っこにあるなど面白い構造をしています。最上階のフードコートに有ったドムドムバーガーが名称変更とともに消えてしまったのが残念でなりません。

    その先、碑文谷警察署を超え、柿の木坂を下ると都立大学駅前で呑川を渡ります。現在は暗渠化されており、その上が緑道となっています。サザエさんの故郷、桜新町付近から大岡山の東工大キャンパスまで緑道に沿って桜の木が植えられており、春は素晴らしい景色で、人も少なくおすすめスポットです。呑川はその先から水面が現れますが、洪水と悪臭との長い戦いの歴史がありました。現在の水は10キロ以上離れた落合下水処理場の処理水をパイプで持ってきて流しているそうで、本来の呑川はその地下の土管の中を流れています。それでも川といえるのか?川の定義とはなんなのか疑問を感じずにはいられません。

    通りは世田谷区に入ると大きく南にカーブして等々力駅を高架で越えます。もはや、目黒区を外れていますが、ここまで来たので最後までいきます。等々力駅は駅の中に踏み切りが有る珍しい構造です。駅の近くの階段を下りると、谷沢川が武蔵野台地を削った深い渓谷「等々力渓谷」に入ります。そこら中で湧水が出ているなど、都心と思えない光景が広がっています。木々と川の流れにより、夏でも涼しく、散歩におすすめですが、雨のあとは水が汚れるので避けた方が良いです。渓谷内には古墳や等々力不動尊など見所が沢山ありますが、渓谷を出て谷沢川沿いを散歩するのも良いです。上流は近くの九品仏川の上流を斬首した(奪った)河川争奪という自然現象が起きた面白い土地で(諸説あり)、下流は丸子川との立体交差がみられる珍しい場所です。

    等々力渓谷が終わったあたりで、目黒通りは片側2車線のさびしい道路になり、多摩川で多摩堤通りと合流し突然の終焉を迎えます。近くの看板によると多摩川を渡り対岸の川崎市まで延長する計画が有るようです。

    目黒区について言いたい事の半分を消化できました。また機会がありましたら、駒沢通り沿いに残り半分を紹介できればと思います。誰かに言いたかった無駄な知識をひけらかす機会を頂きまして有難うございました。ぜひ、見所盛りだくさんの目黒区に遊びに来て下さい。

    

                目黒不動尊                     旧ダイエー碑文谷店

 

 

 
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