月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

ふるさと自慢

<千葉県浦安市舞浜>

日本人会の皆様、日頃お世話になっております。三菱UFJ銀行の岩﨑です。2019年3月末に青島に来てから、2年半以上経ちました。この度、「ふるさと自慢」に寄稿する機会を頂戴致しましたので、私が育った街をご紹介させていただきます。

私が育った街は、千葉県の浦安市舞浜という場所です。皆様も一度は足を踏み入れたかもしれませんが、「東京ディズニーリゾート」の所在地でございます(千葉県なのに、「東京」というご指摘はあるかと存じますが)。浦安市の人口は約17万人、面積は約17.30㎢で、舞浜という場所は東京湾の第一期埋立事業によって、1975年に完成した浦安市最西端の街となります。名前の由来は、東京ディズニーランドのモデルとなったウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートあるアメリカ合衆国フロリダ州の観光地、マイアミビーチから「舞浜」と名付けられたとの説が有力(公式HPにも記載)でしたが、市史を改めて検証の上、日本の代表的な神楽舞「浦安の舞」にちなんで名付けられたと、2019年9月以降の浦安市公式見解を示しております(個人的には前者の方が夢が有って気に入っておりましたが。尚、フロリダ州のあるオーランド市とは姉妹都市関係です)。

現在でこそ、東京ディズニーリゾートが所在する日本有数の観光地かつ人気ベッドタウンの1つとなっておりますが、浦安市にはかつてアオギス、ボラ、イワシなどを水揚げする東京湾有数の漁場でした。更に海苔の養殖では千葉県No.1の生産地でもありました。市場である東京が近いこともあり、とれたての魚は自転車に載せられ行商で売られることも多かった様です。東京湾の埋め立てなどにより、1971年4月に行なわれた浦安町漁業協同組合の臨時総会で漁業権の全面放棄が決定し、今では生活の糧としての漁業はまったく行なわれていませんが、浦安市北部の湾沿いには、当日面影が残っている場所も僅かながらございます。昔懐かしい浦安市の街並みは「浦安市郷土博物館」で見学できますので、是非ともディズニーランドへお越しになられたついでに、お立ち寄りしてみては如何でしょうか。

しかしながら、何と言っても浦安市の特徴は東京ディズニーリゾートです。1983年のディズニーランド開業、2001年のディズニーシー開業、周辺リゾートの開発も含め、日本最大級のテーマパークへ急成長、両パークの1日入場者数は、コロナ前で約9万人とされています。私の実家は最寄りの舞浜駅から徒歩約7分。「夢の国」と呼ばれる環境は、本当に贅沢な環境であり、
・年間パスを買っているので、学校帰りにいつでもジェットコースターを乗りに、散歩がてら遊びに行けた
・家から毎日花火が見れた
・成人式はディズニーランドで式典(無料入場)、TV全国放送
など、大変厚かましい話でございますが、貴重な経験が出来たと思っております。

舞浜に住んで唯一苦労したのは、2011年3月の東日本大震災時。埋め立て地である影響から、道は「液状化現象」による泥まみれで各所で封鎖(泥かきをしたのを鮮明に覚えています)、断水も暫くの間続き、近くの小学校に来た給水車に並び、水のストックを蓄えたのも懐かしい想い出です。10年経った現在でも、液状化現象の爪痕は残っており、浦安市各地で道路の補修が続いていることから、当時の影響の大きさは相当なものだったと改めて認識しております。

 

縁あって現在青島で勤務することになりましたが、港町であり、山東省の中で有数のリゾート地でもあることから、私の故郷の環境に似ており、親近感を感じております。コロナ環境にて制限も多々ありますが、青島での貴重な時間を大切にして、これからの時間を過ごしていきたいです。

 

 
<< トップへ戻る