月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

なんで黄河は“黄”河なの?

<夏旅レポート>

長崎知代・記

1.はじめに
わたしは旅の中で自然の壮大さを感じるのが好きで、中国といえば黄河と長江だな、見たいな、と思っていた。中国に来て1年目、北京~郑州~青島を列車でまわった。郑州では黄河が見たいと思っていたのに、増水のため公園は封鎖されていて入れず、列車から見たのが初・黄河見物となった。2年目、済南で黄河を見る機会があった。なんと、修学旅行!子どもたちと一緒に浮橋を渡ったり、川岸の層状になっている泥の上を歩いたり、ペットボトルに入れた茶色い水からゆっくりと泥が沈殿していく様子を見て、とても楽しめた。そして、3年目の夏、日本と違って黄色(茶色)い川の原因が「黄土高原」であるとの知識はあったが、では黄土高原に入る前は黄河が“黄”河ではないのか?と不思議に思い、確かめに行ってみることにした。そして、成都まで行くなら、長江も少し南下すれば見られると気づいた。黄河も長江も、すごく蛇行しているのに一本につながらないのはなぜ?川の色や流れる場所の地形に違いがあるのかな?と不思議だったので、黄河から長江まで南下するよくばり計画にした。

2.行程
長距離移動 青島→(飛行機)→蘭州市→(車)→桑科高原
 桑科高原→拉卜楞寺→玛曲→黄河第一弯→いろいろ寄り道→蘭州市→水墨丹霞景区→天斧沙宮→蘭州市
観光地めぐり 蘭州市→(高鉄)→陇南→(バス)→九寨溝→(バス)→都江堰
コロナ対応 都江堰観光と行程の変更手続きやPCR検査など→都江堰→(飛行機)→青島

3.見えたこと
・宿はどこ?

桑科高原には野営地があるのを発見した。せっかくなのでそこで宿泊する予定にしたが、高原付近に到着した頃には、とっぷりと日は暮れていた。町を抜けると漆黒の闇。自分のライトしか見えない。高原ですからね。車からは徐行でも草原と土の道のちがいも通り過ぎる一瞬にしか見えない暗闇。ナビで示されて、恐る恐る高原を入ること数百メートル。目の前の草につく轍の跡のみが頼りだったのに、それが四方八方にある場所に来て、心が折れた。うん、予約よりも安全が大事。アスファルトから土に入るときに横に見えた近場の野営地に飛び込みで入ろう。来た道を戻って、道路わきの野営地を訪問すると、倉庫のような建物の中から、包丁片手に女の人。コンクリートの上にはきれいに剥かれた羊。「絶対いい人だ」と信じて泊まりたいと身振りを交えて伝えると、OK。だが、どうも話が通じない。あ、言葉が違う。でも意思は伝わったし、もう消耗しきっていたのでとりあえず小屋に入れてもらって休んだ。翌朝、明るくなって窓の外を見ると緑の丘がどこまでも続く壮大な風景だった。朝食メニューを見せてもらうと、そこには漢字と見知らぬ文字。1泊だけだったが、全く中国語の単語も通じない状態に、中国が多民族国家であることを実感した。

・黄河は何色でも黄河
結論から言うと、黄河第一弯では黄河は緑色だった。そして、蘭州市内で見た黄河は済南よりも赤かった。その原因は車で見た風景から一目瞭然。黄河の始まりはこの高原のさらに奥。でも、この高原は砂漠ではなく訪問した夏はお花畑になっていた。そんなところから土が削られる量は限られているのだろう。打って変わって高原から蘭州市付近に行くにしたがって、むき出しの土の崖が広がる。朝は高原の霧の中で起きたのに、蘭州に向かうと空はどんどん雲もない青空になっていく。天斧沙宮では立入禁止だったのに、立て看板の中にある小屋のおじさんが、おいでおいでと手招きして入れてくれたので、地面を踏みしめ自由に壁を触って回ることができた。丸い石の混ざった細かい砂や泥の集まりであることを。少し触ればさらさらと砕けていく壁のもろさを。これは、赤茶けた黄河になるわけだ。それにしても、黄土高原の土の粒の細かさが、色が、各地の黄河の色を決めているのだな、と分かったのは大収穫だった。また、黄河第一弯でボーっとしていると、橋を「九寨溝」と書かれた長距離バスが渡っていった。道はきれいな舗装道路だったし、陇南からのバスが通った道より道は安全だったので、次は(高山病さえなければ)このバス利用で九寨溝まで行くのもいいかも、と思った。

4.おわりに
今回、甘南の風景や桑科高原での全く読めない字、わからない言葉との出会いはとても良い経験になった。「やっぱり中国って広いなぁ」と感じることができた。新型コロナの再流行のため、長江は見ることができなかった。まだ一度も見ていないため、黄河との違いがとても気になる。茶色くないのかな?それだけでも確認したい。まだまだ山東省内でも黄河の河口や旧黄河の今の様子など見たいところはたくさんある。まずはそこからかな。そして、初・長江はいつになるかなぁ。

 

 

 
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